1、久野里地里山事業の理念と目的
里地里山の姿は、かつての農村集落全体の姿を表わしている。景観をふくめ里地里山的要素は、農村が農村としての機能を発揮する事で、維持され醸成されてきた姿である。今、里地里山が、注視されているのは、都市生活者の回顧的感情と、都市生活では満たされぬ、自然回帰の意識が根底に存在する。これは暮らしを自然に近づけたいと言う、人間本来の要求でもある。と言って、里地里山の住人が昔の暮らしに戻る事ができない以上、新たな仕組みでの里地里山の再生維持管理の仕組みが、作られなければならない。
従来里地里山においては、薪炭材の利用、落ち葉の堆肥として利用、農家家畜の緑餌の利用、を通し、落葉樹の山林の姿が、適度な手入れと管理が行われた結果となり、循環的な美しい姿となった。現状その全てが失われている。また、その復活もかなうことでないとすると、新しい視点で、里地里山地域を見直し、現状の分析を行い、現状存在するなりわいの中で、里地里山的環境を醸成していると思われる業を、洗い出し、その事業をサポートしてゆく事が、里地里山の再生の先ず第1の目的となる。次にそれだけでは、当然不足する要素を、どのように加え、補ってゆけば、里地里山は形成されるか検討しなければならない。
一例として、水の循環を見てみれば、久野川においては、水車の利用のため、一定の流れや路床の管理がされていた。舟原より上部においても水田への灌漑水の取り入れの為の管理がなされていた。同時に生活水としても利用されていたため、水質の汚染への配慮も自然行れ、上水と下水の取り分けもなされていた。水神を祭り畏敬ある存在として、その清浄は保たれていた。しかし、水道が引かれ、上水としての利用がなく成ると、下水が、無造作に川に流されるようになり、水質の低下が始まる。これを以前の川に戻すためには、ここで暮す者すべてが、設備と配慮を行わなくては成らない。そこに経費も増加する訳だが、これを個々人の責任としていたのでは、問題の解決にはならないだろう。
久野地域の現況を考えてみるに、農業の形態は全く様変わりした。ここに暮す大半の者が、外へ働きに出るようになった。落葉樹の循環的林はミカンやすいかの畑に移行した。更にその後は、その畑だった場所や、大方の山が人工林として、杉檜が植林されることになる。農業地域であるにもかかわらず、里地里山との関係のほとんどが失われ、本来の管理維持は出来なくなった。人工林の植林地も間伐等の手入れがされず、薄暗い林になっているところが、多数を占めるようになった。しかし林業に於いても、自分の家の建て直しに、切り出して利用しようとしても、購入した外材のほうが安いという状況では、植林地の管理も当事者に任せておくだけでは、期待しにくい状況であろう。ここにも、何らかの手立てが必要になっている。
里地里山の存在は、地域住民だけの環境ではなくなっている。という確認から始まるのではないだろうか。それが、神奈川県において、里地里山条例が出来た、論拠であろう。よって、地域の住民の努力だけに里地里山の維持が期待されるのではなく、県民が等しくかかわれる形での、里地里山の再生を目指す事が、展望されなくてはならない。地域の現状からしても、里地里山の維持には、行政的支援や里地里山事業に対する、県民全体での市民的支援がなければ、成立しえない事。もしそれがないにもかかわらず、この事業が進められれば、地域住民の負担だけが増す事になるに違いない。このことを、事業の理念の冒頭確認したい。
そして、あらためて、深く思うことは里地里山の維持管理には、農業的なりわいの成立こそ基盤になることを、常に念頭に置かなくてはならないことである。条例でも示すように、里地里山地域に於ける健全な農業の成立こそ、里地里山成立の基本的要件であるとしたい。もし農業が更に後退し里地里山だけが、公園のように管理されてゆく事は不可能でもあり、無意味な事だと考えざる得ないであろう。
里地里山を保全すると言う事は、この地域に新しい形をもった、里地里山的暮らしが戻ってくる、と言う事になるのであろう。