地域のごみ市民会議
[地域のごみ市民会議]いい名前のようで、すぐ忘れる。欲張りすぎた名前なのだろう。昨日は、箱根町の処理の現状を見学させてもらった。実際に見てみると違う。この組織は小田原、湯河原、真鶴、箱根で現在検討が進められている。ごみ処理広域化の問題を検討している。今年二度のフォーラムを行った。この会では市民案を作ることを、大きな目標としている。ではどんな市民案を目指しているかと言えば、循環型社会を作るための、ごみの処理法を探求することが基本のつもりだ。大きな方向は決まっていて、そこへの道筋を検討しようと言う事だと考えている。例えばプラスチックの焼却が、安上がりだからと言って、燃やせばいいとは考えていない。広域化という国の方針を受けて、広域化が止む得ないものなのかどうか、もしやむえないものなら、それを生かした、循環型のごみ処理は考えられないか。検討してきた。現在の一番の課題は、行政がこの検討に市民を排除いている点だ。市民には、出来上がった結論さえ見せればいいという、市民不在の手法で、施設の振り分けまで、検討が進んでいるようだ。
私は、20何年か前、自給自足を目指して、山で生活を始めた。13年暮した。ごみの収集などないわけだから、ごみの出ない暮らしを目指さざる得なかった。その体験を通して、ごみ問題は暮し方の問題だと気付いた。そして、自然養鶏を始めた。それは、地域で出ている食品残滓の飼料化、まだ飼料にできるものは、ごみにせず、飼料にしてゆきたいという考え方だった。それが仕事になった。仕事として成立することを証明しなければ、食品残渣の飼料化は進まないと考えたからだ。その後、山の中から、小田原に移ったのことも、仕事としての成り立ちを明確にする。ためでもあった。田んぼや畑を含めた食料全般の自給を、市民が担うと言う所に向かった。暮らし方のほうは、より簡略化して、お金で代替してゆく。ごみは分別もしないで、全てを燃やす。これでは地球は廻ってゆかないだろう。
ごみをどのように循環させるかが基本だ。その為に広域化が、可能であるか、どうかを検討しようと言う事、広域化することは、循環の輪が大きくなると言う事で、困難は増えるだろう。見えなくなるから、市民の協力体制も弱くなるだろう。そこで、広域化の中でも、細分化したほうがいい部分を、上手く取り分けられないかと言うのが、実際上の方策に見えている。一言で言えば、生ごみのような、燃やすべきでないものは、地域地域で、堆肥化する。これは各家庭で行うのが、一番だが、それが無理でも、せめて、部落単位。それが難しければ、校区単位。生ごみがなくなればごみは半分になる。半分になったごみの、15%は紙。これもリサイクル可能。結果的には焼却灰の最終処分場も、ずいぶん小さくなるはずだ。
廃棄物会計の重要性は、それらの総合的な処理法を検討して、コスト計算をする点にある。単純に、プラ類のリサイクルはコストが大変だ。と言う事ではなくなってくる。燃やした場合の、環境対策費、測定費、ひいては周辺の土地の価格の値下がりまで、ごみ処理法は影響する。炉が半分になればの建築費は半分になるし、解体コストも半分になる。環境的に素晴しい施設であれば、周辺の土地の値下がりも押さえられる。運ぶごみが半分になれば、道路の建設費から、交通渋滞による、住民の負担も大きく減少する。
先ず、環境省の作った廃棄物会計による、1市3町の現状の把握が、緊急課題だ。その上で、広域化した場合の、幾つかの分別法や、生ごみ処理の方策などをの、事例ごとにコストを試算することだろう。