ごみの民主主義
18日にごみ広域化についての勉強会があった。『神奈川県ごみ処理広域化計画の概要(平成10年3月策定)』には、計画の期間として、平成10 年度から平成19 年度までの10 か年とし、期間内に広域化実施計画の策定をめざす。とされています。もう時間はありません。この計画は150億円から200億円の予算がかかるかもしれない、巨大事業になります。これは市民が、毎年1万円の負担増と言う事になります。この実施計画が、市議会に対しても、市民に対しても、具体的な所は何も示されていません。迷惑施設の計画は行政が素案を作るまで、一切公表しないで、進めることを小田原市の方針としているからです。この市の方針は明らかに県行政がこの広域化計画の中で示した。行政と事業者と県民が共同して進めるとした、考えから外れています。
市民に対する、不信感が小田原市の中枢に、根強くはびこっている。「市民は利己的で、何でも反対するから、情報が漏れれば、いい事はない。」こう考えているのでしょう。こんな行政が今どきあるでしょうか。市民参加とか、建前では言いながら、自治会中心の上意下達の行政の古臭い有り方が、こういう形で現れています。この間20回も小田原市の環境政策課に行っています。一年半ほど前から対応が変わりました。市民には一切情報を伝えない方針を決定したようです。「もう来ないでくれ、来ても何も話せない。」職員が私にこう宣言しました。それ以来行っておりません。
ごみの事を考えてゆくと、民主主義に突き当たります。誰でも出します。他人事には出来ません。どのように処理するかは、暮し方の問題です。国の方針と、地方公共団体の自立性の問題もあります。ごみ処理は市の専権事項になっています。又大きくは地球全体でごみを減らすという、大前提があります。めんどくさいから、とか、経済効率的に、燃やすのが一番いいのだと考えても、そんな考えの国はこの先許されなくなります。小田原市行政の考える、信用が出来ない「市民」一人一人が変わる以外、ごみには解決がないという、民主的な重大な問題があります。身勝手で駄目な市民だと思うなら、どうやってそうじゃない市民になってもらうかの、すごくいいテーマです。ごみの民主主義を、そこから市民が変わってゆく。そんな機会にできないものだろうか。
ごみの半分は生ごみです。これは地域によっては、全く出さないでもすむ、農村部もあります。生ごみを出さない人には、何らかの恩恵があってもいいはずです。更に残りの半分が紙ごみです。この中の半分は事業系と思われます。事業系のごみは本来行政に処理をする責任はない。事業系ごみは多いい地域では18%ぐらい家庭ごみに混入してくるという、データーもあります。ごみには努力する者が、有利になるという、経済的な流れも必要です。家庭ごみを有料化したら、事業系のごみの混入がなくなったという、データーもあります。手間暇をかけて分別したら、節約できる。こういう仕組みも必要です。戸別収集をやることで、ごみの減量化が出来た、地域もあります。収集を止めて、ステーション持込のみにして、減量化した地域もあります。ごみを集めたり、分別する仕事を、増やすことで、燃やす量が減るなら、経済性だけで考えないほうがいい側面もあります。
いずれにしても、ごみは小さい領域で考えれるほど、減らすことができます。