草取り

      2016/08/10


昨日は灼熱の炎天下、大豆の会の草取りをした。大変なことになるなとは思っていたが、何とか午前中で、倒れる人も無く終わった。否、それぐらい強い日差しだった。幸いいい風が吹いていたので、私も大丈夫だった。この大豆を植えたのは、あの小田原で時間雨量62ミリの台風、前日の雨の降り続く中だった。若い農の会の主力の人は、さすがに毎日草刈をしているというので、別段どうと言う事でもないようだったが、私は家の草ぼうぼうの状態を見ながら、いつやろうかと、重い腰が上がらない毎日だ。ともかく、暑い中、草刈をすると後に残ってしまうようになった。それで養鶏場もすごい草の状態になった。正直家の草刈は今は出来ない。少なくとも3時間も続けてやるなど、出来ない。それが皆でやると、何とかできるのだから不思議だ。

私は草刈機で、大豆の周辺の草を刈った。これが神経のいる草刈で、2本せっかくの大きくなった大豆を切ってしまった。仮払い機の刃が土にめり込んだ時に、思わぬ方向に流れるのだ。サット流れて方向がくるう。申し訳なかった。それではを中空に浮かせながら、と言っても草に隠れて見えない地面から、一定に保つのが難しい。他の人はさすが上手くやっていた。目が悪くなったと言う事もある。終わったら肩が痛かった。ひさし振りの肩こりだ。しょうがないので最後は、隣の草ぼうぼうの畑を、思いっきり、振り回して草を刈った。もうやらないと怒られそうな状態なので、刈った。やっていて、家のほうの草ボウボウをやろうと思った。

田んぼもそうだ、田んぼも楽しくて仕方がないのだが、これが一人でやっている田んぼだったら、そんなでもないと思うのだ。みんなで、これがいい。たぶん昔の部落の協働と言う事は、そんな側面もあったと思う。田植え後のさなぶり、一段落して夏祭り、地域全体の活動と言う事で、大変な仕事も、こなせたのだろう。道普請。これも、生まれた部落では昔は年に何度もあった。部落中央を突き抜ける道が、舗装されていない。集落自体が、急な坂道の中にあり、その坂道沿いにある。当初は車など通らないから、大きな石で作った段差が3箇所あった。道普請をしているの現場を見に行った記憶は、その段差をなくす作業だった。出ている大人たちが、すごい張り切っていて、東京でそういう仕事をしていたという、サダオさんが大きな声で、仕切っていた情景が記憶にある。

あれも暑い日だった記憶があるが、いつも偉そうな大人がはしゃいで楽しそうだった。それは集落の行事で、協働する姿だったのだろう。もちろん、そうしたあり方の中にある、封建的問題はあったのだろうが、同じ目的に向けて、協働することの大切さは、あるのだとおもう。農の会の場合は、何の強制もない。直接の生活からすれば、やらないでも構わない事だ。しかし、自給しようと思うと、一人ではやりにくいことを、思いを共にする仲間と行う。ここがいいと思う。もちろん一人でやれるすごい人もいる。しかし、私もそうだが、とても味噌作りは一人ではやりきれない。お茶作りもそうだ。その出来なさ加減にも、様々な段階があるだろう。だけれども、余り厳密なことは言わずに、ともかく共に働くことで、何とか、味噌や、お茶が自給できる。このあり方は大切だし、ありがたい。

 - あしがら農の会, 抑草法, 稲作