小宮農園の釜開き

   

農の会の仲間の一人に、大井町でブルーベリー摘み取り園旭をやっている、小宮真一郎さんが居る。縄文晩期の容器型土偶の出土した、大井町の小宮家だ。昨日は一日ゆっくり過ごさせてもらった。3日・4日・5日とピザ釜が暖められている。ブルーベリーの摘み取りの季節は、7月半ばから、9月半ば、この2ヶ月だけしか、このすばらしい場所が有効に使われていないのは、いかにも残念だと言う事で、この場所を生かした何かおもしろい事はできないかという話が出ていた。パン焼き窯はどうか。小麦を利用した何かはないだろうか。小宮さんもあちこちの釜を見て歩いているようだった。仲間には、自分で作った石釜で、パン屋さんをしている。「そらまめ」さんや、丸太の森で、石釜インストラクターをされている、人達もいる。

団塊世代のおじさん達が、蕎麦打ち派だとすると、女性や青年は小麦派だ。小麦と言っても、当然うどんを打つ人などいない。パンとかピザの方だ。醗酵が入る方だが、やはり酒饅頭や中華饅頭という訳ではない。アジア系のナムでもなく、ヨーロッパ系のパンやピザと言う事になる。この小麦を栽培しようと言う人も出てきている。取り組み方も、中々本格的で、これからの地域の活動のニューウエーブに成る様子だ。地域活動というと、どうしても伝統的なものという感覚が、私の中にはある。味噌づくりやどぶろく作りと言う事になる。風土的なもの。たぶんそうした伝統とは全く、切り離されて育った世代にとって、身体的な感覚として、うどんも、パンも、ピザも等距離なのだろう。

山梨の山村で生まれた者としては、甲州赤小麦の栽培風景と、毎晩のほうとうは忘れがたい食の記憶として残っている。祖先の暮らしや思いの記憶を伴って、蘇ってくる物だ。主食と言う物は民族固有な、ある意味その民族を作り上げている物だ。フランスの学食で、食など何の関心もないような、同級生が、突然、今日のパンは上手いぞ、と言って大量に取ったことがある。彼には身に付いた感覚として、上手いパンの様子が染み付いていた。上手そうな飯だな。食べないでも分かる。あの独特の感じは、何10年も食べ続けて身についてしまうのだろう。食の記憶、これは栽培、耕作の記憶でもあった。食べながら草取りの暑さが蘇る。そばを食べながら、そば粉を引かされた手のしびれも、思い出さずに居られなかった。その1000年を越えて共通であった民族の記憶が、ほんのわずか時間で失われた。もったいない。実に惜しい事をした。

小宮農園の石釜は、新しい文化になりうる魅力を持っている。良い道具は文化を形成する大切な要素だと思う。この釜が、電気オーブンであったのでは、新たに食に対する、各人の思いを醸成してゆくには物足りない。本格的な石釜で、焼いたピザが格別な食物にならなければ、食べ物に対する感覚が覚醒されないだろう。買えば何でもある時代の中での、食文化の再生。これは、改めて工夫を考えなければ、作り出せる物ではない。麦を育てる事にはじまり、食べるまでの長い工程を体験としてたどる事は、たぶんこの時代の食を確認する、重要な要素になると思う。その核となる道具を、小宮さんが作ってくれたことは、実にありがたいことだ。この石釜が与えられた物ではなく、小宮さんが必要と考えて作ったところが、本当の魅力を生み出すことになるに違いない。

 - あしがら農の会