憲法講演会:鎌田慧
小田原の第一マネージメントという会計会社は、憲法記念日に毎年憲法講演会を行ってきた。今回が39回目だそうだ。政党とか、宗教団体とか、一切関係なく、純粋に憲法を学んできたのだそうだ。日本国憲法が出来て60年。還暦といわれるけれど、憲法が成人してからずーと続けてきたと言う事になる。始まったのは私が高校生の頃だから、一連の大学闘争などが起きて、政治的な時代だった。そんな背景で始まったのかもしれない。今まで、来ていただいた講師の方々のお名前が、著名な方々なので、ちょっと驚いてしまう。今年はルポライター鎌田慧氏だった。一つの企業が、社会還元的行為として、憲法を学んでゆく、これは出来そうでできないすごい事だと思う。入場料も無料と言う事だった。昨夜は200人ほどの人が集まっていた。小田原のすばらしさのひとつが、多様な市民活動。
鎌田慧氏はルポライター。現場主義に徹してきたそうで、トヨタの季節工としての体験を書いた、「自動車絶望工場」1972年。この格差社会の顕著化するなかで、この時代を語っていただくには最適の人だった。トヨタの臨時工割合は3分の1だそうだ。給料は4分の1.1970年当時の季節工より、今の状況の方がはるかに悪く成っているそうだ。外国人労働者の問題。正社員の意識の問題。そして企業がグローバル化する中で、経営者の利益だけに固執する姿勢。較べるとすれば、1950年当時の労働条件と同等であろうと言う事だ。70年当時季節工であっても、高度成長の中で、正社員への道というものは、実際にあった。現在は、永遠の時間工である。そして、恐ろしい事に、正社員が自らの取り分を増やす為に、時間工の低い労働条件を望ましいものと考えている実態。
更に問題の深刻化する、報道、テレビの下請け産業化した劣悪な状況。正社員の6分の1で働く、現場の労働者。格差の根源にある、正規労働者に巣食う自己保身のみに働く意識。階級意識の誕生。問題は貧しさよりも、共感と同情の失われた社会状況と指摘。これは路上生活者に対する、攻撃に顕著に現れている。大阪府は路上生活者に寛大な対応をしていた。ところが、市民からの苦情が急速に目立ってきた。「臭い、汚い、迷惑。」行政としては、対応せざる得なくなる。行政が排除行為を行う事で、路上生活者を犯罪者として社会は見るようになる。ドロップアウトしそうな若年層は、格好のはけ口として、襲撃を始める。現代社会の方向が、経済優先となる中で、起きている事の実態。
グロバリゼイションと言われる、アメリカ世界支配の構造。各民族独自の精神文化の崩壊。日本国憲法第25条 「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」平等とは何か。人間が人間らしく生活を営む事は、日本人全てに保障しなくてはならない、事の筈だ。それを機会があるから、とか。再チャレンジは出来るのだから、とか。そんなことは問題外なのだ。努力をしないで、脱落している者を救済する必要はないというような、空気が蔓延してきている。競争社会が先鋭化すると言う事は、競争に馴染まない者の行き場がなくなる。アメリカ型の競争社会は人類共通の理念ではない。全世界がその価値観に巻き込まれなくては成らないゆえんはない。人は各々のペースで生きる権利がある。経済だけで人間は幸せに成れるわけではない。互いが共感の中に暮らす事は、すぐにでもできることだ。