国民投票法

   

国会の仕組みからか、この法案は5月3日の憲法記念日までに、成立するらしい。憲法を変えたい。特に9条2項を変えたいこのように考えている。安倍総理を始めとした、大半のと言ってもいい国会議員の皆さんにとっては、国民投票法は低いハードルであればあるほどいいと、考えているに違いない。1947年5月3日、日本国憲法が発布された。日本人はこの憲法の基で、平和主義国家として進む事を、世界に懺悔の気持ちと共に示した。近隣諸国に与えた甚大な被害を反省し、2度と軍事力を保持しないと誓った。そして、日本国憲法も60年の還暦を迎えた。過去の清算は済んだのだから、普通の国家として、美しい国として、軍事力を持つ国家として、やってゆきたい。こうした、空気が徐々に広がりつつある。これに対し、近隣諸国からは懸念の声が、高まっているが、近隣諸国も軍事力の強化に余念がない。

日本国憲法は第二次世界大戦に対する、世界全体の反省も込められ、新しい世界平和の枠組みの構築に向けた、極めて意欲的なアプローチであった。しかし、それを提案したアメリカは、舌の根も乾かぬうちに、日本の再軍備を提案する。当然のごとく、世界はこの憲法を模範として、平和国家としての道を歩む国は少数の例外的な国を除いて、現われることはなかった。日本はこの微妙で、有利な立場を十二分に生かしながら、経済至上主義の国に変貌した。幸い、60年直接的には戦争に巻き込まれることはなかった。国力を軍事力という形で反映できない以上。経済至上主義で、世界に打ち出す以外に道はなかったのだろう。しかし、この経済競争を平等に行うためには、応分の負担を行えというのが、繰り返し要求されるアメリカの主張なのだろう。

しかし、世界では経済自由競争の名の下に、実は南北問題に象徴される、貧富の拡大が起こった。更に、先進国と呼ばれる、経済至上主義国家の価値観が、世界に蔓延することで、いわば各民族固有の倫理は崩壊した。あるいは大きな摩擦を起こすことになる。経済が豊かになれば、美しい世界へ向かうはずが、対立の世界は先鋭化することになる。その一番の対立が、イスラム社会との対立であろう。イスラムの文化の持つ倫理と言うか、根本理念が、経済ではないのだ。アフリカにはアフリカ諸民族の文化的伝統があり、先進国と言われる、経済主義をすんなり受け入れる事はできない。その場合、普通は先進国に利用され、民族としての理念を失って行く事になるが、たまたま、イスラムには、石油が埋蔵されていて、経済の競争原理に埋没する事がなかった。

本来、各民族は民族としての自立性の尊厳を尊重しあい。対立的でなく、平和的な関係を構築すべきだ。他民族に対し、支配的な経済関係を恩恵のように、まるで福祉のように押し付ける事は止めるべきだ。そこに、日本国憲法に込められた、世界平和への願望を、思い起こすべきではないだろうか。オーストリアはヒットラードイツとの併合を、国民投票によって決めたそうだ。その反省から、憲法改定になるほどと言うハードルを設けているそうだ。例えば、国会議員の3分の2が改定に賛成した時には、再度総選挙を行い、国会議員を選びなおし、もう一度3分の2の賛成があれば、国民投票に進む規定がある。投票率の問題でも、政治に対する失望が基に、なっていることを忘れては成らない。投票しても無駄だ。こんな投げやりな状態を作り出して、国民投票に向かう、こんな場合も想定して、国民の過半数賛成を必要とする国もある。

 - Peace Cafe