5回目の里地里山勉強会
昨夜は久野公民館で、里地里山の勉強会があった。行政の方達が何故、久野で里地里山つくりの事を言い出したのか、いよいよ見えなくなった。どうも行政はこれを仕事の一貫として手がけないといけないらしい。誰かの指示があるのだろう。しかし、個々の職員としては、それほど必要な仕事とは思っていないようだ。そうでなくて、そんな事はやらんでいい、と言う上司が近くに居ると言う事か。行政の思いと言うか、人としての情熱が感じられない。この辺が歯がゆくなる部分だが、里地里山は地域の者にとっては日々の生活の場だ。生計の場だ。他所から来た私のような者でもそうだ。解っているだけでも300年以上この地に暮してきた多くの人達にとっては、過去も未来もふくめて、大変大切なものとしての地域だ。仇や疎かに、仕事だからというレベルで口出しをすると言う姿勢に、怒ってしまわないか、心配でならない。
どうもそうした空気に耐えかねて、昨夜は言い過ぎた。行政が更にやる気を失くすと言うのも困るし。言い過ぎた後はどうも気が病んで眠れない。「里地里山のは住民が主体でやるのだ。」これを行政は繰り返して言う。今更そんな事ばかり念を押すなら、最初から言い出さなければ良かったのだ。言い出しておいて、逃げ腰ばかり繰り返す理由がわからない。提案した以上、覚悟を決めて欲しいものだ。私自身は、久野の里地里山の再生に全てを注ぐつもりだ。大したことはできないだろうが、やれる限りの事をやってみるつもりだ。かかわり始め、このことの重要性を深く認識してきた。久野地域には農業の継続の可能性はあると思っている。それは今の農業者のやり方に問題があるというのでなく。日本の農業のを取り巻く状況は必ず変わると考えているからだ。
今の農水の大規模化し、国際競争性のある農業を進める。と言う考えは、早晩失敗する。農政は失敗の連続だから、今更驚く事はない。しかし、そうした政治とはかかわりなく、農業は続く。それは農業には人間の生き方の根本があるからだ。日本人が日本人となってきたものは稲作であり、農業を取り巻く暮らしの在り様だ。文化と言うと貴族文化とか、武士道精神とか、特に際立った物に目がいきがちだが、当たり前の日々の送り方こそ、人間の文化だ。その大半のものが、農業によって生まれてきた。その暮らしが、久野地域には一定残されている。そのあり方はこれからの日本にとって間違えなく、貴重な物になって行く。
里地里山作りは環境保全の活動ではない。地域の暮らしの再生だ。地域の人への開発制限のような、発想があれば、これは成立しない。地域の人が暮らしを立て易い条件作り出す。里山地域だから家を建てていけないではなく。里山を守る為の、農業を継続する人ならば、むしろ、来てもらう為に家を建てられるように、法規制を取り払うような方向でなければ成らない。久野が久野らしい里地里山地区として、成り立つように、そうした開発はむしろ必要だと思う。同時に、里地里山らしくない、建設残土の捨て場のような施設が出来る事で、その価値が減ずることがないようにしてゆく事だろう。里地里山地域指定などというと、何か地域の暮らしが損なわれるようなイメージがある。そうでなく、地域の人が暮しやすくなるような地域指定でなければ、成り立つ訳がないだろう。