農村の保全
2016/08/08
農村と言うのは人の住んでいるところだから、保全などと言えば、原住民とか呼び習わした、イギリス人のようで怒られるかも知れない。そういう意味でなく、私が好きな、今も住んでいる、こうした場所がどうすれば保全できるのか。里山保全、は里山作りに変わってきた。すでに失われた所が多いいからだろう。今度は里地が加わり、里山だけでなくもっと畑や、田んぼのあるところも考えなくては、どんどん失われてしまうと言う事になった。更に問題は、深刻になったと言う事だろう。
里地と言う言葉は、良い。しかし、露骨に農村の保全と言わないと、分からない人もいるだろう。そうだ、農業者はすでに伝統工芸士のようなものだ。この農業者の生息地を保全しなくてはならない。伝統的農業技術の保持者を、国は認定し、特段優れた方は、人間国宝にする必要がある。第一号認定は福岡正信さんかな。
農村が滅びてゆく、これは本当に致し方ないことなのだろうか。農業者が大企業の工場労働者のような、暮し方になってしまって、日本の文化はどうなるのだろうか。農業に根ざしてきた、日本人のすべてと言ってもいいものが、失われることに成る。教育の問題が盛んに言われているが、日本の教育に、食料生産技術がないことがおかしい。読み書きそろばん。と言われた寺子屋時代。農業は各家庭で行われていて、あまりに常識的なことだから、学校であえて取り上げるまでもなかった。
お米が、穂に実ると言う事も知らずに、根の方に実るのだろうと思っていた人がいる。そんな事はどっちでも良いが、自分が食べている物が、自分と言う人間の生きると言う土台だ。といことに気付かない。否、水や空気だ。そう言った人がいた。それはそうだ。それは汚す事はできても作れない。受身だ。食料を作る。これが人間たるゆえんだ。この作り方に、日本人らしいやり方を培ってきた。いくら機械化したところで、その原則的な考え方は、少しも変わらない。季節に合わせ、天候に合わせ、土壌に従い、作物を頂く。
農村が崩壊している。それは、都市近郊の壊れ方と、中山間地での過疎による崩壊とは違うが、いずれも危ういどころではない。舟原は、戦争前後の戸数が50軒だそうだ。今は70軒。2年に1軒が増えて、4年に1軒がなくなるとそうなる。40軒ほどの家は、江戸初期から続いている家の本家分家だ。日本でも変化の最も少ない、集落だろう。そこで、農村が崩壊している。集落が崩れ始めている。ミカンを栽培した辺りから、危機が迫った。自分たちの食べる物の生産は、副次的な物になった。農家も野菜を購入する事になった。そして、高度成長期と言われる工業化社会への変貌。
いまや、当たり前に農家経営ができる地域に。こういう当たり前のはずの要望が、頑迷な伝統主義者の発言と受け取られている。先日出合った環境保護派の方の食料などもっと田舎で作って欲しい。町場の残された、貴重な自然を壊してまで畑をやるなど、止してもらいたい。こう言われた。地域の農家の方には、資材置き場にすれば、駐車場にすれば、出来るならアパートにしたら。もう少しは収入になる。こんな気持ちがある。日本と言う国が、どうやって生きてゆくべきか。自分たちが食べる物は、自分の国で作るという、当たり前の事をしてゆかないと。日本人の日本人たるところは、言ってみれば美しい日本は、終焉するだろう。