安藤和夫さんの個展

   

安藤和夫さんの個展を見に横浜に行ってきた。高島屋の美術画廊だという事は覚えていたので、横浜で降りればすぐ分かるだろうと、案内状を持たずに出かけた。所が駅で降りてすでに分からなかった。駅の辺りにあるはずなのに、それが見つけられない。人が多いとアワを食ってあたふたしてしまう。案内があるはずなのにそれが見つからない。やっと地図を見つけて、それに出ていない、そんな訳がないと思いながら、時間をかけて見つけた。人込みはどうもダメだ。

美術画廊は上のほうだろうと登る、この辺はおおよそ何処のデパートも同じで、だいたい壁際だ。するとなんと「吉岡耕二」さんの個展をやっている。この方は私がフランスにいた頃、サロンなどで目立っていた。どういう人かは知らなかったが、見栄えのする派手な絵を描いていた。その後、日本で活動するようになり、あちこちで見かけた。私の絵の師である、春日部洋氏とは同じ頃フランスで活動されていて、紹介された事もあった。

最近はBUNNKAMURAギャラリーで連続的に、個展をされていて、仲間の間では話題には出ていた。フランスにいる作家、あるいは長くいた作家は、岡野博さんや、木村忠太さんなどを代表に、通ずるものがある。精神の印象派とか、自称していたけれど、光に注目するにしても、悪く言えば思わせぶりの所が出てくる。もう一つには、磨き上げたような日本独特の工芸的な表現を拒絶する。これは、日本に対する反作用のようなもので、藤田嗣治のように、そこを売りにして伸して行こうとした作家とは時代が違い、日本での販売を目的にしているから、荒っぽさがフランス的というような、自意識があるのだろう。もちろん、東洋的を売りにして、ヨーロッパで、漆やら墨やらを強調する作家も多いので、一概には言えないが、いずれも商品絵画の時代の作家だ。

そんな事を思いながら、入ると、変わってきていた。絵がいらだっている。色が強くなった。赤でもレーキ系を使っているのか、赤堀尚さんを思い起こすような色だ。日本に暮し、ヨーロッパを描く。本当に描いているのだと思った。絵を作っているだけなら、こんな風に乱れる事は無い。何が起きているのか、人事では無い衝撃が在った。商品絵画の真っ只中でやってきた人として、見ていたけれど。絵はそう簡単なものでは無いな。恐れ入る。

そう友人の安藤さんの個展だった。対極的に技術の世界。楡の埋もれ木を使って、静謐な完成度を見せていた。さすがの、安藤さんらしい抜かりの無い仕事だ。何処におかれることが一番いいのだろうか。そんな風に思ってみた。欧米人の日本研究家の大きな家で、銘酒のビンでも入れて置かれたりするのかな。などと思った。ベリーナイスUMOREGIなどと、薀蓄が語られて、日本の伝統を教えてもらったりする。
ここで大切にされている、文化のようなものが、私達の暮らしから実に遠くて、どう考えればいいのか。吉岡さんの絵の余韻のまま、混乱した頭で帰ってきた。

国府津辺りで、海と空が見える。夕日が、箱根に沈もうとしていた。生まれてきた一日が、こうして死んでゆく。今日一日たくさんいただけたものの、ありがたさを自然は、確かめてくれる。人は明日もものを作る。それだけは変わらない。

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