官製談合
宮崎県、和歌山県、福島県と県中枢が指揮する談合事件が相次いで、摘発されている。その前は岐阜県での裏金。長崎県、そのほかで日常的に行われてきた模様。こうした事件の続発は、日本的な仕組み作りのある。
先日、友人と飲んだとき弟が、地方で建設会社をやっていて、倒産しそうだという話を聞いた。彼の父親が作った会社で本来彼がやらなければならないところを、東京に出て会社勤めをしてしまい、致し方なく彼の弟が、引き継いだという話を聞いていた。公共事業を取れなくなって大変なんだ。
こういう話だ。全てを公平に入札すると、大きいところほど仕事を、取れることになるらしい。東京の企業が、小さな地域の仕事まで取ってしまう。これは、規制緩和の結果。何処の会社でも入札できるように変わってきた。仕方が無いので、下請けに入るしかなくなる。地域の行政も、地域の企業を育成したいという気持ちがあるし、地方議員は当然そうした地元建設業を背景にしている人も多数いる。そこで、官製談合と言う事になるらしい。
何故、こういう仕組みになるかだ。入札には仕事により、入札条件がある。これを地方の企業という形で限定すれば、すんなり行くかというと。これまた、複雑で、長野県では前知事がこれをやろうとして上手く行かなかった。全てが丸く収まるために、腹芸というか、魚心というので、持ちつ持たれつやることになっているらしい。これが、日本中の行政、及び、首長、議員、に染み付いている。例えば、公明党系の議員は昔はカネにはきれいとだけは、言われていた。与党になった今は、まさに保守党議員の顔になった。
仕事を行う仕組みの作り方を変えないとならない。これは、別に会社でも同じだ。汚いことを平気でやるのが、伸びる会社であるというのは、村上氏、堀江氏が見せてくれた。大方の、日本人がそんな物だろうと思っている。こういうところに竿を指すと、話の分からん奴だと、排除される。これを乗り越えないと、日本が脱落してゆく原因になる。会社でも内部情報が不透明な会社は、私なら株は買わない。
行政の仕事一切が、透明性を確保される事が、解決策だ。しかし、そんなやり方には慣れていないし、手間がかかってどうにもなら無い。こんな感覚だと思う。東京オリンピックのころ、「独りの反対者がいても、やらない。」こう断言した、美濃部都知事という人がいた。結局、夢の島のゴミ処理などで、えらい不評を買ってしまった。
多分日本人には出来ないのだろうと思う。きちっとしたルールやシステムを作る能力が無いと思う。人間に無いのかもしれない。こういうところで諦めてはいけないのだけれど。談合がなければ弟がやっていけない。それはそうだと思う。必要な正当性もわかる。弟がやってゆける他のシステムの構築が必要なのであって、談合方式を温存させる事が解決ではない。もちろんそんな事は誰でも知っている。そこに仕組みを変えるために流す血が、怖いわけだ。
清濁併せ呑む事が、大人の条件のような社会を。水清ければ魚住まず。という状況をどうやって住みにくく、小人で、やって行けるようにするかだ。今より不愉快な状態を通り抜けない限り進めない改変だから、本当に難しい。農の会でも、仕組みの改変が行われている。私は一つの実験だと思っている。大いに試す価値はある。