農の会収穫祭
昨夜は臨時定例会を開催し、農の会では収穫祭について話し合った。事前に、掲示板で各自の考えが出されていた。これがそれぞれの収穫祭に対する、考えであり、農の会に対する考えである。しかしまだまだ出尽くしていない気がしている。大切なことは収穫祭を考えることを通して、自分が何故農の会に関わり、どんな会にしてゆきたいか確認する場にすることだと思う。
しかし、昨夜は時間が無いし、掲示板でも各自の考えは出ているので、収穫祭をどんな考え方でやるのかについては、議論を深める事はせず、具体的な行事の進め方のほうにはいるべきだ。こういう意見が強く、結局何故、何の為にやるのかという、私としては、そのことこそ話し合うべきだ、と考えていたことについては、物足りなかった。
具体案に入れば、結局例年と大差ないものになるだろうと思っていた。それは集まる人の数が、300人は越えると見なければならない。準備なしの祭りがいい、と言っても、現実には駐車場だけ考えても、大変な事だ。だから具体策に入るその前に、何の為にを何度も確認したかったのだ。
20人ぐらいの人が集まった。この他、農の会には、それは多様な人が関わっていて、祭りなんか大嫌いという人もいるだろう。そんな人が、一切関わらなくても、それはそれで、何でもないような農の会がいいと思っている。お茶畑の会があるが、出ない人は出ないが、出ないからと言ってどうということは当然無い。収穫祭もそんな集まりでいいと思う。
祭りの内容も、やりたい人がやりたい事をやればいいというのが、好きだ。学校の運動会のように、全員が同じ事をして、他の者は応援してみている。こういうのは私は大嫌いだ。人の輪に加わりたくない人が、来る事が出来るような祭りがいい。それには多様な内容が夫々の方向でおこなわれていたほうがいい。これは昨年の収穫祭で確認したことだ。出来る限り多様なかかわりを保障する。黙って座っていられる場所を作る事も、大切だと思う。
あれこれ準備しすぎて、忙しすぎて楽しめなかった。昨年はこういう意見が続出した。私はこの点が理解できないでいる。自分も楽しめる祭りにしたいということで。楽しむの内容が、今回の提案では、「農作業」として出てきた。これも中々いい。しかし、普段農作業で働きづめで、今更の人もいる。そんな人は来ないでいいでは、ちょっとまずい。
祭りでこんな事がやりたい。そういう思いも保障する必要がある。やらされるのでなく、やりたいからやるというのであって欲しい。餅つきを、づーとやらされて、可哀想だったというのが、出ていたが、本当にそうだろうか。餅つきを準備してやることは、楽しいことだ。そのことで大勢の人が楽しいでくれると思うと、やりがいのある仕事だ。もちろん、やらされるのであれば、楽しくない。どの作業だってそうだ。やりたくてやるから楽しい。義務でやらされるようなことは、今までだって排除してきたと思う。それが、何故か、やらされて辛かったのではと言う、話になる。今回これはなしにしたい。大変な事だから、お餅はお金を貰うようにしたらどうかという話も出たが、これは根本的に違うと思う。
やりたい人がいないなら辞めるべきだ。やりたい人が、やりたいことをやって、喜んでいるから、農の会らしい空気感は表現されている。今回の祭りは、やりたい人がやりたいことをやる祭り、これに徹すればいいのかもしれない。