私の自給自足

   

先ず、シャベル1本で生きる事を試してみようと考えた。その頃は学校に勤めていて、自給自足が出来たなら、学校を辞めようと思っていた。丹沢山系高松山、平均12度の北斜面2反、標高350メートル。杉人口林。杉を切り倒し。小屋を造り。鶏を飼い。畑を開墾し。水貯めを作り。田んぼを作り。5年で食糧の自給は達成した。年齢30代から40代にかけて。体重50キロの虚弱体質。農業経験なし。不退転の決意だけは強情にあった。ひと一人食べる為の労働時間は1日2時間。面積は100坪で足りる。これが結論。学校は辞めた。洗脳された頭を、身体が覚え、立て直すのに、5年間の労働が必要だった。
自給自足が達成できた開放感はなににも変えがたいものではあったが、この一人の達成をどのように他者に、広げてゆけば好いのかが新しい課題になった。今にも墜落しかかっている地球船に乗っている以上、何処か軟着陸できる場所を見つけ出さなければならない。すぐ大上段になるのが、悪い癖だ。ともかく、そう考えたとき、江戸時代の循環型の社会構造が何か可能性として、輝いて見えてきた。江戸時代の農業ついて調べてみると、飢饉とか、一揆とか、搾り取られる農民像が強い。しかし、私の4倍働けた江戸時代の農民が何故に苦しいのか。そんなはずがないのだ。明治政府の富国強兵策に基づく洗脳教育の影響だということがわかった。これは、隣の隣の国以上だった。反抗好きな私としては反体制教師が率先して、江戸の封建制下の農民の苦しさを強調するので、つい間に受けてしまった。彼らにとっては、いつの時代も農民は弾圧されていなければならなかった。反体制を装う者が洗脳教育に載せられていたので、つい引っかかってしまった。天皇制に基づく明治政府の政策は過酷を極め、徹底して農民を搾り取る、その為には江戸時代は最悪の時代であるという幻想を作り上げなければ成らなかった。苦しかったのは第2次大戦後であり、その戦争の準備であり、明治からの富国強兵にあったと見るべきだ。
江戸時代の豊かさは日本鶏を見てみるとわかる。庶民が作り出した豊な文化性、封建制度下、精神を抑圧されていて、あれほどの鶏が作出出来るわけがない。17種の天然記念物の日本鶏は、世界で200種といわれる鶏種の中でも、見劣りはしない。尾長鶏やチャボを作り出す育種の技術力も、それは今では信じがたいほどの高さがある。余裕がなくて出来るわけがない。それを支えた飼育の技術力。この背景に広がる農民の暮らしの奥行き。文化的な感性の豊かさ。声良鶏のときの声を味わう事が出来、競技にまで高めてゆく余裕ある生き方。私は江戸時代に対しそうした実証を信じる。ひるがえって我々の時代の貧弱で、情けない鶏を思うと全く恥ずかしい。少々卵を多く産むというだけで、魅力のない性格の鶏を,欲に目が眩んで、否、そうした繊細な感性を失って平気だ飼っている恐ろしさ。4本足のブロイラーの方がモモ肉を4つ採れるといって、作出しょうとする人間性の崩壊。とんでもない時代の中にいると、我が身の恐ろしさは見えない。
私としては早急に自然養鶏の技術を深めなければ成らなかった。せめて失われた江戸期の鶏を飼う技術まで、早く戻らなくては成らない。ワクチンも、化学薬品もなくどうやって、多様な世界を、個性的な日本鶏を作出できたのか。アメリカ式養鶏と言う、人工的で、循環を拒否した、使い捨て方式に、鶏を飼う知識も感性の全てを失ってしまった。本物の情報の乏しさ。養鶏を取り巻く実学の喪失。薬を使わなければ鶏は死に絶えると信じ込んでいる、獣医学の貧困。情報の受け売りだけをしている家畜学の実体。何処を訪ねても何の答えもなかった。
私は観察だけで6本の柱の発見に至るしかなかった。これは良かったことだったかも知れない。自然の成り立ちを唯一の根拠にして組み立ててきた。一切の科学薬剤を使わず、江戸時代同様に健康な鶏が飼えると断言できる。しかし、自然養鶏法は、経済的には成立しない事だと、前置きする。これなのだ、経済優先の社会では不経済な技術は、割に合わない技術として捨てられていたのだ。「手で掘った牛蒡の価値を認める人だけに、私の牛蒡を食べてもらいたい。」と名著「百姓入門」の中で、筧次郎氏は書いている。栄養としてのみ食するなら機械で掘ろうが同じであろう。経済は行き詰まり先行きの見えない今、不経済と斬り捨てた原点に立ち戻る以外、新しい道は見出せないはずである。手で掘る牛蒡のおいしさを味合わなくては成らない。

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