日本はどこに向かえば良いのか

   



 日本が先進国では無くなったと言うことはどの分野でも明らかになり始めている。政府が政策の方向としている、国際競争力は34位にまで下がったと言う。日本人の労働生産性はOECD加盟37カ国中26位 。日本は世界との比較ではずるずる交代してしまい、現状を変える能力も失われたと考えたほうがいい状況。

  一方で社会の貧困とか、格差が深刻になってきたと言うことも言われる。日本が貧しくなると言うことと日本人の暮らしが貧しくなると言うのは少し違うと思う。日本円の価値が下がれば、外国のものが高くなり、海外旅行には簡単に行けなくなると言うことはわかる。

 海外の品物を買わずに、日本国内で暮らしている分には、外国との経済の比較は余り意味が無い。日本では賃金が上がらないと言うことがあるが、これは企業の国際競争力を重視する政府の方針のために起きている。労働対価の意味が実感とは変わっている。

 物価も上がらないのだから、海外と比べながら暮らしているわけではないので、貧しくなったという実感はほとんどの人に無いはずである。何故国際競争力が無くなって、どれだけ力を入れてもさらに競争力が下がり続けるのかを考えて見る必要がある。

 そのまえに、日本が戦後復興から高度成長をつづけ、世界第2の経済の国に成長した過程を考えてみることだ。

 一つめは、適応能力の高い訓練された労働力が,江戸時代に醸成され充分に存在したと言うことがある。その労働力は農業分野から大量に供給された。日本の農村の文化レベルと教育レベルの高さから、即座に成長過程の工業社会に適応し、産業分野の革新に貢献することが出来た。

 その有能な労働力の出現には、戦後の混沌の中で平等な競争条件の国という状態があった。誰もが努力をすれば報われる社会があった。過去にも未来にも無かったような平等な社会が敗戦によって生まれたとも言える。

 二つめは、経済地理的な条件である。日本列島という地理的条件が原材料を輸入して、加工して製品として輸出するには条件としてよかった。日本には資源が無いと言うことが、世界中のどこからも輸入が出来、世界中のどこにでも輸出ができると言うことでもあった。

 近隣に発展途上国が大量に存在する状況もあった。人口爆発が世界中で起きて、物不足の状況である。便利で優秀な日本製品が世界でメイドインジャパンのブランドとなり、世界中に輸出されることになる。無かった生活必需品が次々に登場する時代である。

 三つめは、国防に費用をかけないですんだことがある。アメリカに占領統治され、日本が再度軍事国家にならないように監視された。安全保障のただ乗りと言われながらも、基地は提供させられたが、国防費は競争国よりも格安にすんだ。

 朝鮮戦争、ベトナム戦争とアメリカ軍の出撃基地として、利用されながらも、戦争状況も日本経済には恩恵を生んでいった。そうした戦争にもアメリカがもたらした平和の日本国憲法の下、参加すること無く回避することが出来た。

 うさぎ小屋と呼ばれる小さな家につつましく暮らしながら、贅沢をせずひたすら上昇意欲をかき立て、勤勉に働く国。便利で効率の良い生活必需品生産国。そして平和の国だった。教育意欲も極めて高く、受験地獄と言われるような過酷な競争の中で学習を続ける団塊の世代が生まれた。

 明治日本帝国以来の西欧崇拝による産業革命の方向が,敗戦という最悪の結果を招いた反省から、ひたすら経済で敗北を回復しようという国民共通の目標が暗黙の了解として存在した。ひたすら我慢をしながら、経済的勝利のために努力をしたわけだ。しかも、働けば実感として生活は良くなった。

 日本に追いつき追い越せとアジアの諸国から見られた日本モデルと言える状況が30年前まではあった。そして当然のこととして、アジア各国に並ばれ、追いつかれた。それは日本が劣化したこともあるが、そればかりでも無く必然のことである。

 この日本に存在した三つの条件は大きく変化をした。人口の高齢化により、労働力は不足し、海外から受け入れなければならないような状態である。経済地理的な条件としては日本の港湾は,世界の趨勢から大きく遅れて大型船舶が入港できるのは横浜港だけになってしまった。そして、国防費も年々増大し、普通の国へと変わった。

 同時に日本モデルを達成し、さらなる成長を続ける国は日本よりすぐれた競争相手として存在するようになった。本来であれば、アジア各国の成長は日本にとっても悪いばかりでは無いはずなのだが、その利点を生かす事はできないでいる。

 特に日本がIT化が出来ないで居る。テレワークを行うべきなのに、出来ない企業が大半であった。日本人の働き方は世界の趨勢から遅れている。日本的働き方そのものが、成果主義に整理されていない。スーダラサラリーマン。

 IT化が進んでいる国はいくつかの特徴がある。政府が新しい分野に意欲的で、かつて無い仕組みを模索する姿勢がある。否定しなければならない、現状が無いと言うことでもある。既得権益の擁護が必要ない国である。

 既得権益は感染症学会のような本来科学に基づく平等であるべきものを偏ったものにさせていた。本来社会的な使命を持っているだろうと思われた製薬会社も、利益の出ないワクチンの準備は世界の水準から大きく遅れていた。細菌兵器の研究をしていなかったと言うことでもあるが。

 日本の一番の課題は方角を失ったことにある。企業が国を超えて活動している。この政府と企業と国民の関係がバラバラであることから、日本人の生産性が著しく低下してしまったのではないだろうか。オリンピックの決定の姿には国民の置き去りが明白になった。

 何のために努力するのかの方角が、金儲けのために努力をするという拝金主義の価値観だけになっていたのだ。特に政府の拝金主義は目に余るほどだ。政府が自助努力を提唱する国などあるだろうか。こうした自己本位の考え方には限界がある。

 人の為や、社会の為に努力する力は人間のもう一つの力を湧き上がらせる。持っている以上の力が生まれるのだと思う。成功したひとが言う言葉は親を楽をさせたいとか、日本の為とかであったが、今は自分の為になり始めているような気がする。ここが日本人の生産性の低下の原因では無いだろうか。

 日本の国際競争力が34位になったことは、こうした自己本位社会の結果にみえる。以上の分析がある程度当たっているとすれば、この先さらに低下を続けることになる。政治の転換を以前は期待していたが、今はそれも余り期待していない。社会全体はもう無理であろうと感じている。自分の周りだけでもできる限りの努力をするほかないという気持ちである。

 

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