2022年に起きたこと

静かなのぼたん農園の姿である。直播きがされて、すこしづつイネは延びてきてはいるが、まだただ水面が広がっているようにしか見えない。のぼたん農園に熱中していることで、この辛い時代を楽しく過ごしている。逃避しているとも言えるが、諦めたので楽観の農園作りを始めたとも言える。
それにしても2022年は厳しい年だった。3年目になったコロナが、年末になって一番深刻な状態になった。政府は感染対策は経済にマイナスと言うことで、対策をいわば放棄した。コロナの深刻度合を2類から5類に変えるということまで言われる。その結果死者は一日450人と過去最高を記録した。
これは先日予測した悪い方の結果だ。個人的には過去最大の感染注意である。石垣島も今年末年始の観光客で賑わっている。観光が良くならなければ、石垣島の経済は回らない。コロナも怖いがそれどころでは無いと言うことだろう。正月明けにはさらなる感染拡大が起こるかも知れない。
にもかかわらずコロナの流行は終わったかのような報道の風潮である。感染者数とか、PCR検査数とかいろいろの数値はあるが、コロナの深刻度は死者数で見るのが一番正確な情報になる。このコロナ蔓延のピークに、旅行割引をしている政府をどう考えれば良いのだろう。お金は命より重いと言うことらしい。
政治が崩壊している。これが2022年の一番の特徴だ。政治に期待できないのは野党がだめだからだというのだが、共産党はだめではない。ただ資本主義の次に共産主義があると考える人は少ない。維新と立憲が連もうというのでは野党に期待などできない。
アベ時代が日本を実に悪い国にした。ほりえもん、ひろゆき、へいぞう、でんつう。こういう連中が跋扈する時代だ。金権主義の結果社会が崩壊し始めている。それは日本だけのことではないのだろう。資本主義社会の限界が来ている。
資本主義は高度成長を生み出し、生活の豊かさを世界中にもたらしている。その点ではすごい成果を出した経済の仕組みだ。競争は行き過ぎになり、敗者の階級が出来る。日本が急速に階層化が進んだ一年でもあった。円安不況は企業だけが利益を上げ、物価高で庶民の生活は追い込まれつつある。
その何よりも経済競争を重視した資本主義の形が、国家資本主義を生んだ。企業優先でなければ、世界の競争に勝てない。それが世界に過酷な競争を生み出した。そして、まさかの軍事大国ロシアのウクライナ侵攻が起きた。戦争で何も解決など出来ないにもかかわらず、暴挙にでてしまう。これは展望がない、資本主義の末期現象の表れだと思わざる得ない。
国家も能力が高ければ弱者を虐げてかまわないという論理である。資本主義は豊かな社会を生み出すが、資本を持つものと、持たないものの階級を作りだす。資本のない階級は能力を高めることも出来ずに弱者と固定され、努力不足は本人の招いた結果だと決めつけられる。
能力差別は人間だけでなく、社会組織にまで及び、都市と地方との格差が深刻化する。それは利益の出ない産業は不用とされる社会でもある。お金を生み出す産業だけが重要な産業で、利益を生み出さない産業はいらないとされる社会。その結果食糧自給率38%の日本である。
教育はすぐ役立つ能力が重要視されて、人間の豊かさを育む、情操教育などは軽んじられていく。藝術もお金になるものだけが評価され、投資の対象としての商業藝術の時代が顕著になった年。人間が藝術によって、その生命を高め、安寧に生きるという本来の人間の目標が、競争主義により壊される。
日本の軍事化が始まった2022年として記憶しておく必要がある。平和主義の努力が放棄された年でもあった。戦後75年の日本の努力は空しくなった。75年戦争に巻き込まれない出来たことは武力を持たなかったからだ。武力を持てば必ず戦争に繋がる。
平和憲法は完全に否定された。敵基地先制攻撃ミサイルを南西諸島に配備するのだ。もしどうしても配備したのであれば、憲法を変えてからでなくてはならない。多くの国民が中国が怖いから、軍事強化が必要と考えるのであれば、憲法の改定を行う必要がある。
それは間違った道である。その前に憲法に示されたとおりに平和的努力をすべきだ。やろうともしないで、対立だけ煽る政府のやり方は余りに稚拙だ。その稚拙な情報戦略に単純に乗せられる日本人であるのなら、もう仕方がないというのが、今の心境である。
戦争がどれほど空しい、悲惨なものだ。それを世界中で知らない人はいない。無駄なことを知らないからまた戦争をするのではない。悲惨を十分認識していながら、人間はまた戦争をするのだ。プーチンは狂気なのだと思うが、大きな武力を持ったが為の鬼畜化だ。
すでに同胞の10万人ものロシア人を殺している。ウクライナ人も10万人は殺されただろうと推測されている。その目的は領土を広げたいという馬鹿げた望みだ。日本でも北方領土、竹島、尖閣諸島という3つの火種がある。膠着状態であるが、平和的に解決をする努力がされていない。
尖閣諸島のある、石垣市に住んでいるわけだが、尖閣諸島領土問題があるという状態が一番の不安材料だ。何故話し合い解決を目指さないのだろう。互いに武力強化の方向に進んだ2022年であった。専守防衛の最後の守であるはずの軍事力が、先制攻撃を目指す、敵基地攻撃ミサイル部隊になった。
地方社会の衰退と言うことが、顕著になった一年でもあった。結局は財政再建の目途が立たないが為に、地方社会への公共投資が一年ごとに細くなってきている。地方は農業によって基盤が出来ている社会だから、農業が厳しくなれば社会全体が衰退する。
それでも2022年で楽しかったことを思い出してみると。藤井聡太五冠の圧倒的な強さ。大谷翔平選手の大リーグでの活躍。この二つぐらいしか無い。藤井将棋は将棋の定跡感覚を覆した。先入観がないところが魅力的だ。そのおおくをAIから学び、藤井将棋に作り上げている。
玉を囲うということがない。矢倉囲いとか、穴熊囲いとか、美濃囲いとか将棋には玉を固めるという感覚があった。それは江戸時代以来の将棋の考え方だった。ところが、藤井将棋はギリギリのところで、きわどく勝負をする。玉を固める一手を省いて、攻撃の陣形に使う。
こうして、AIソフトが出来ても、人間の頭脳の魅力はあると言うことを藤井将棋は見せてくれた。何故、ソフトが何億手順を読んでも、気付かなかった手を藤井五冠は発見することがある。人間の能力の得体の知れないほどの深さを感じるときだ。
もちろん藤井将棋も新しい定石になって、多くの棋士が取り入れ、さらなる研究をして勝負をしている。しかし、藤井五冠はその上を行く研究を続けている。すべての棋士に研究されつくされてもさらなる深化をする。藤井将棋は常に新鮮だから見飽きることがない。