一つの中国と台湾の独立

   



 中国は台湾併合の理由を一つの中国と主張している。一つの中国とは何を意味するものか。そもそもの始まりは、日本と清国との戦争で日本が勝利し1895年台湾の領有権を獲得した辺りにある。 130年前の話になる。それ以来台湾は中国とは別の歩みを始めた。

 しかも130年より前の台湾は、中国の歴代の政府は朝貢はさせていたが、統治することに明確な意志があったわけでもない。台湾は台湾人の国であった。それは琉球国も同じである。中国人はそれ以前から台湾に進出はしていた。それはシンガポールやマレーシアだって似た状況である。

 米国は、日中戦争間、国民党の蒋介石率いる中華民国を支援した。共産主義の毛沢東軍を不安視していたのだ。日本の敗戦に伴い、1945年にアメリカの命令によって中華民国軍が台湾に進駐し接収した。当然のことではあったがその蒋介石軍は、敗北した軍隊でまともな体制がなかった。

 蒋介石軍は毛沢東共産軍に敗北し、台湾に後退させられ、台湾を中華民国として中国全体の正式な亡命政府の形をとった。アメリカは蒋介石を中国の正式政府と承認した。アメリカはロシアや中国の共産主義をおそれ毛嫌いし、国内でも共産主義をひどい弾圧をした。

 確かに台湾は中国ではあるが、元々台湾に暮らしていた、台湾では原住民と呼ばれる人達もいる。台湾には台湾語もある。台湾独自の文化もある。琉球国も中国や江戸幕府に朝貢はしていたが、独立した国家であり、外交の形式の問題である。

 台湾の場合1624年オランダに植民地化され統治された。オランダ人は福建省、広東省沿岸部から大量の漢人移住民を労働力として募集して、台湾で中国人労働者によるプランテーション農業の展開を試みる。38年間の統治を行い、台湾にヨーロッパ式の国家体制を導入し近代化させることになる。

 オランダから独立をした台湾は原住民と中国からの移住者によって、中国の一地方として生計を立てるようになる。中国政府は台湾の経営どころではなく、台湾は台湾として地域作りを進めていた時代と言うことも出来る。かつての中国の大国主義は支配はするが統治はしないという傾向がある。朝貢して属国化していることまでしか行わない。

 その後日本の植民地時代があり、そして蒋介石軍の台湾撤退があり、中国から来た蒋介石軍は日本の植民地時代どころではない、台湾人や中国からの歴史的な移住者に対し、悲惨な虐殺支配を行い過酷な独裁政治体制を引く。アメリカの後押しである。

 果たして次代によって様々な中国が存在する。一つの中国と言えるのは何時のことなのだろうか。中国が一つの中国と主張している理由は、大国主義なのだろう。ロシアも同じであるが、あれほど広大な領土を所有していると、さらに大きな領土を支配したくなるのだろうか。

 支配欲のような物は日本でも根強い。尖閣諸島など平和に日本人が暮らす上では、すぐにも平和的な解決をしなければならないことでもあるにもかかわらず、何故か必要に領土にこだわる。領土欲の背景にあるものは、政治の複雑な絡み合いがある。

 石垣の中山市長の言動を見ていると、尖閣の領有を主張することが、自分の自民党政府に対する、忠誠心の表現であり、その見返りを求めるための、忖度のように見える。自衛隊基地を推進する代わりに、何がいただけますかと言う事がある。

 たぶんこの中山市長のやり方に支持者が多いのは、石垣の経済はそれ以外にまわらないと考えている人と、同時に島特有の公共事業関連の土木業者の経営がある。それだけの規模の業者が存在し、安定的に仕事を供給することが、島の行政の第一の仕事になっているのだろう。

 台湾は四国と九州との間くらいの大きさ島である。そこに4000メートル級の山が連なっている。規模その国土の豊かさ多様性、安定して国力を増強させるには好適な規模の国だ。人口は約2,327万人 。中国のように巨大化するだけが国の方角ではない。

 中国と台湾では空気が違う。中国にある、ギスギスした緊張感が台湾にはない。台湾の方が厳しい政治環境にあるのだが、自由と民主主義が確立された国の空気である。香港の一国2制度が覆された姿を見ると、とうてい中国になりたくないという台湾の人達の気持ちが理解できる。

 台湾が一つの中国を望むためには、中国自身がそれだけ魅力的な国になれば良いだけのことだ。今の中国の姿はどれほど経済的に成功したとしても、何の魅力も感じない国である。それはあの習近平の後ろにある巨大な中国画を見れば分かる。

 大きくて精密な描写だけの絵だ。精神がない絵画。中国が本来持っている豊かな大きな哲学が失われている。それは30年前に絵画交流団で中国に行ったときと同じである。絵画に余裕がない。遊びがない。偉そうに大きく、精密な描写だけのこけ脅かしの絵画である。

 台湾の現代絵画は違う。自由に生きる人間が描いている。日本の数々ある公募団体の、形式的なそれ風の絵とも違う。日本は文化を見失いつつあるとおもうが、台湾には文化を求める生の絵画が存在した。文学もそうだと思うのだが、台湾は独特の文化を成長させている。国の置かれた厳しい状況によるのだろう。

 台湾という素晴らしい国を中国のようなつまらない国にしてしまっては成らないと思う。台湾にはむしろ中国人が本来持っていた豊かさがよみがえっているのかも知れない。仙人や大人の文化である。中国本土の人達もたぶんそのことは理解していると思う。

 中国人はそれほど一辺倒ではない。今現在は毛沢東仮面や習近平仮面をかぶっているに過ぎない。その仮面を取り去って暮らせる日が来たときに、台湾は中国になるのだろう。それが中国人の幸せでもあるはずだ。今はその本来の中国への過程と考えるほか無い。

 それまでは中国と台湾である方が良いのではないだろうか。中国の国家資本主義も、時が経てば状況は変わる。高度成長も終わる。その時まで、時間を稼ぐことが出来れば、平和的に一つの中国になることだって可能なのかも知れない。

 中国は商業主義国家である。台湾が台湾である事が中国の経済的利益であれば、それを受け入れるはずだ。あと10年ほどすれば、中国は国内事情が変わり、台湾が台湾でいてくれる方が望ましい状態に変わることもあり得る。ともかく、いまは中国に強硬な発言をしないで済むような、対中国政策を日本政府は取らなければならない。

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