アメリカで大量離職が続いるらしい。

果樹園の上に出来た7番田んぼ。この田んぼから流れ出る水を果樹の水遣りに使うつもりだ。田んぼの幅より果樹園の方が少し広い。それでも33mのところに水を溜めるバスタブを入れたので、果樹園の水遣りはかなり楽になる。
田んぼは8番は完成しているので、餅米の直播きをやった。どうなるのか少し不安だ。種を蒔いた後強めの雨が降ったら、かなりの籾が見えなくなってい待った。土が違うと直播きも随分違うことになる。
9番田んぼもほぼ昨日遅くに形は出来上がった。今日トラックターで耕耘するつもりだ。2度は耕して石拾いである。これが結構大変である。日曜日にはやらなければならない。そうすれば水を入れることが出来る。そして、いよいよ最後の10番だけが残る。
10番田んぼはかなりの傾斜地に作ることになる。位置は決めたのだが、まだ水糸は張ってない。水糸を張るにも無理なぐらい傾斜がきつかったから、おおよその均平をまずとった。出来れば今日水糸張りもしたい。そうすれば工事が開始できる。
その前に今日はノニの取り木である。ノニは挿し木でも活着するらしいが、確実に行うために、取り木をさせて貰うことになった。皮を剥ぎ取り、根が出るように、水苔を巻き付けておく。30本ぐらいはしたいと思っているが、可能だろうか。木が弱ると行けないから、1本には一つが良いと考えている。
話は一転する。アメリカではこの一年の傾向として、退職希望の若者の3人に2人はいるそうだ。コロナの蔓延の中、働くという意味の問い直しが起き始めている。アメリカが風邪を引いたわけだから、日本はもう少し深刻な病になるのだろう。
退職してしまう人が増加して、労働人口が急激に減り始めている。人手不足はどの職種にも広がり、給与の上昇は大きい。先日、港湾労働者が不足して物流に停滞が起きた。そうしたら、なんとマクロなるどのポテトチップが販売休止になったと言われていた。
アメリカでは給与を倍にして人を集めても、どの業界でも人集めが難しいことに困難になっている。どうもそれぞれの人生にとって、労働を資本に売り渡すという意味が、疑問になってきているのでは無いだろうか。新しい生き方が模索されているとすれば、それは望ましい傾向になる。
資本主義の未来が楽観できなくなってきたことがその根底の要因だろう。このまま行けば世界はおかしくなると言うことが、若者の間に感じられ始めているのだろう。アメリカのような豊かな社会では、純粋に働くことの意味が問われ始めたと言えるのだろう。
何しろあり得ないと思われた、核大国が強大国に全面戦争を仕掛けたのだ。代理戦争は絶え間なくあったが、ロシア派確かに隣国に何度も攻撃を仕掛けた。しかし、今回の攻撃は話し合いが可能なレベルのことであった。そもそも強大国の同胞を、その一般市民を攻撃の対象にする等狂気の沙汰である。
こうした狂気が生まれる要因が世界には高まってきた。コロナで2年以上も悩まされたと言うこともある。コロナによる経済の低迷もある。そして異常気象が続き、世界の食料生産も危ういところが見えている。この先の世界に暗雲が立ちこめている。
これからの自分の人生をどのように生きようかと迷う人も出てきて当たり前の事だ。そして、誰かに雇われて、指図を受けているのはつまらないのではないかと感じ始めたのかも知れない。人間至る所に青山ありでは無いか。何かをやってみよう。
という気分になって不思議は無い。若者は荒野を目指す。荒野とまでは行かないでも、自営業が良い。自分が経営者になるのが良い。その冒険の準備を充分にして、出発する。その日和見の期間ならば、冒険に役立つ技術を身につける仕事が良い。
私も人に雇われていたことはある。金沢にいた頃は、北国工藝社といった気がするが、いわゆる看板やさんである。忙しいときとか、夜中のデパートの展示替えとか。友人が紹介してくれて行かせて貰った。お城の発掘調査員もやった。東京の家に帰れば、スポーツ店でフル稼働で働いていた。その3ヶ月で1年分の生活費を稼いだ。
その後三菱エレベーターの下請けの、そのまた下請けで働いた。渋谷に会った職安で一番給与の良い仕事を紹介して貰った。危険な仕事だから給与が良いと言うことだった。この仕事はフランスに行く資金を貯めるためだった。その後は世田谷学園の美術講師。
務める仕事はそこまででだった。務めると言っても非常勤ばかりで、絵を売ると言うことが中心だったこともある。やった中では一番嫌な仕事だったかも知れない。失敗して良かった仕事だ。失敗したから偉そう書いているわけでは無い。色々のものを売ってきたかが、絵を売るという気分はまったく湯鬱だ。
絵を欲しいという人にあげるのは良いのだが、絵を売るのは何とも気分が悪い。何か魂を売り渡しているような気になるのだ。自分の中に売りたいという気分が充満しているのが、辛いのだ。何をお金にしようとしているのかと思うと辛くて成らなかった。それで個展を止めたのだ。
なんだかんだとあれこれの自営業で生きてきた。農家が一番長かったことになる。養鶏業は充実していたと思う。そうして、楽しく生きてくることは出来た。玄米卵を食べて貰うことは誇りだった。日本で一番良い卵だという自分が持てた。
いまでも2ヶ月間生きている卵を売っているところは無いだろう。そういう卵を作り、販売できたことはいわゆる仕事が生きがいになる。自営業は良い。何時間働いても良いのだ。自分の限界まで働けたことは他に代えがたい喜びである。勤務するのではそういうことは無いだろう。
いまものぼたん農園で気持ちよく、楽しく働いている。それは監視もいない。自分の生き方に沿って、自分のやりたいことで働いているからだ。田んぼのイネも活着している。のぼたん農園の土壌が、イネに悪くはないらしい。イネを見ているだけでも、元気が出てくる。
田んぼほどおもしろいものはない。しかも、何も無いところに溜め池を作り、田んぼを作る。まだ始まって3ヶ月であるが、10枚2反少しの棚田が出来つつある。といってもこの農場は5年で完成予定である。その後、5年続けられれば冒険は達成されたことになる。
こうして楽しく働いていれば、あと5年は大丈夫だろう。水先案内人が倒れるわけにはいかない。5年すれば相当よぼよぼだろうが、あと5年みんなの邪魔にならないように働きたい。