資本主義の次の時代

   

舟原のタマネギ畑
 資本主義が末期的状況だというのは、多くの人の共通認識なってきた。同時に、共産主義社会の方が悲惨なのが現実だ、という意見も目立つ。中国やソビエトを見てみろ。こういう論調も目立つ。中国もソビエトも共産主義を方向としては掲げたが、実態は軍事独裁国家であった。
 共産主義国家が独裁というのはあり得ないことなのだ。資本主義の次の時代は、民主主義国家でなければどのような経済体制でも無駄なことになる。今の資本主義国家が民主的ではなくなり始めているところが危機なのだ。その主たる原因は構成する主権者の問題だと思うが。

 コロナの蔓延も、気候の過激化も、ロシアの狂気の戦争も、すべて資本主義が利益だけを追求し続けた結果だ。拝金主義によって社会の調整機能がまともに機能をしなくなり始めたからだろう。悪いのは拝金主義であるが、ではどうすればいいのかという摸索の時代に入っている。

 とにもかくにも日本に蔓延していると見られるのは、コロナ以上の拝金主義である。金儲けの上手な人が立派な人という驚くべき価値観の出現である。少し前までは金もうけは卑しい人のやることで、恥ずべきことだったはずだ。ネットでは、一夜にしてこれだけ設けた、東大出の〇〇。みたいなものが並んでいる。

 従来であれば、東大まで出てなんで金儲けなどに走ったのだろうという事だった。ところが金儲け以外には人生の価値が見いだせない時代なのだ。これは私の生きた72年の人生の中で価値が大きく変化したことだ。金色夜叉のように、お金に動かされた恋人を見返すために、金の亡者になってやるというような話が戦前は物語として成立したのだ。

 今なら、結婚の条件として、大金持ちが一番いいというようなことを公言しても、普通ではないのか。もちろん縁のない話で良くは知らないが。女性もそんな結婚を目標にする人は、人生を間違っている。男女問わず人間として自分の人生を全うしようという人が、当たり前になるのではないか。

 人生の目標が、金儲けではさすがに情けない。金儲けは卑しいくだらないことだと考えるべきことだ。ベニスの商人である。自分の人生を生きるという事はお金は生きて行けるだけあれば十分である。お金は少なく済めば済むほど良い。大枚はたいて高価な食事をするより、粗食で足りたとすればその方が、喜べる。

 粗食の方が健康食である場合が多い。それが自分で作った農産物で済むのであれば、最高の食事という事になる。自分で自分が食べる物を作ることが出来る幸せは他に代えがたいものがある。それは資本主義の次の時代の価値観ではないか。

 先日根守さんから、野菜セットを頂いた。小田原に来て最高贈りものだと思った。1週間の食事が素晴らしいものになった。どこの高級レストランで食事を頂くよりも、素晴らしいものだ。幸せとはそういうものではないだろうか。

 好きなことをして生きるためには、食べ物を自給する時代。これはみんながそう考えれば、可能なことだ。 日本の食糧自給率がどうしても30%台を抜けられない。しかし、食糧が輸入できなくなれば、日本で自給するほかなくなる。有難いことにそれが可能な国が日本だ。石油が出る国よりも恵まれている。

 江戸時代に戻る訳だ。私の計算では8000万人ぐらいの日本人は、日本の国土で自給自足で暮らすことが出来る。残念ながらまだ多いいが。遠からずそこまでは減少する。江戸時代の2.5倍くらいの農産物が生産できる。生産技術が向上した。
 それは一切の化石燃料を使わないとしても、伝統農業で可能という事だ。疑う人が多いのだが、それなら、あしがら農の会でも、石垣島のぼたん農園でも来てみて確認して欲しい。何とか可能な方法を探求している。難しいのは技術よりも、拝金主義との戦いの方だ。

 品種の改良。農業技術の進歩。道具の革新。江戸時代の人ほど我々は働くことはできないが。それほど働かなくても食糧自給が出来る技術革新がある。もちろん、化学肥料もいらない。大きな農業機械もいらない。自給農業技術は格段に進歩している。

 それは日本に存在した、伝統農業の技術と、西欧の科学的な農業技術との融合によって生まれた、新しい時代の自給農業技術である。例えば水牛で耕作する稲作には合理性がある。化石燃料は不要。雑草が餌になり、糞が肥料になる。アジアにはそれを実践している人が沢山いる。

 自給農業の合理性を探求すれば水牛による自給農業には合理性が出てくる。人間の食べた糞尿はバイオガスを採取して燃料にする。その残渣は農作物の肥料になる。サトウキビを作り、風力と水牛を利用して砂糖を作る。こうした小さな循環してゆく自給農業こそ、次の時代の生き方の指針になるだろう。

 人間が健康のために体を動かすのは一日1時間から2時間ぐらいが良いのだろう。私は朝動禅体操を1時間くらい行う。これで健康が保たれている。これを、のぼたん農園の冒険を始めてから、45分にした。畑で身体をかなり動かすからだ。今もそれなりの体力が維持されている。オムロンの体組成計によると、大体42~43歳である。

 健康のための運動ぐらいで、食糧の自給は可能なのだ。この食糧自給の技術を伝える場を作りたい。まだ、石垣島では初めて1年にもならないが、小田原でやってきた40年近い実績がある。それを生かして、何としても亜熱帯気候の「のぼたん農園」の農業体験場を完成したい。

 10家族が体験できる農場である。一人の自給が、田んぼ200㎡。畑が100㎡。そして熱帯果樹の農園がある。水牛の放牧場がある。鶏がいる。与那国馬がいる。そんな楽しくて、面白がっている内に食糧自給の技術が身に着く場だ。

 今も、ユンボの動かし方や、トラックターの操作は徐々にみんなが学ぶことが出来ている。安全に技術を学べる場になればこれほど素晴らしいことはない。幸いのことに福仲先生という農業高校で45年も指導された、農業機械の専門家が協力してくれている。

 石垣島に移住されて、開墾生活を実現した干川さんもバイオガスを作ってくれている。そして崎枝の3家族が中心になって、農場の整備を続けてくれている。何と小田原から原さんが来てくれて、軽トラを駆使て協力をしてくれている。みんなが次の時代に向けて摸索を始めている。

 ストローハウスもあの草のロールをそのまま使い出来ないかと思っている。あれを積み上げるだけで暮らせるというのはどうだろう。あのロール一つがい万円はしないと聞いた。円形にパオのように並べればいい。一段でも屋根を円形に立ち上げれば、結構良いものが出来そうだ。

 ビニールでつつんだものなら長く持ちそうだ。あのビニールを倍蒔いてもらい丈夫にする。必要な時に利用して建て直しをすればいい。あのロールを積んで屋根だけ乗せれば完成。床は整地をして、すのこ張りくらいで十分だ。

 屋根はメッシュで覆い。そこにセメントを塗って作るのが、合理性もあり、雨漏りからも風邪からも守られる。中央の上部には天窓を付けたらばどうだろうか。風が通るような工夫も必要だから天窓は明り取りと同時に、風抜けの通気口にする。

 話が、のぼたん農園の事になってしまったが。資本主義の次の時代のモデルを実際的に作りたい。極端に言えば、ストローハウスがあり、10の自給の農作地があるような形だ。先ずは、体験農場で働いて見て、交代でストローハウスに泊まってみることが出来るというのも悪くない。研究してみよう。

 自給の暮らしが出来るようになれば、これから来る大変な時代の中でも、好きなことをして生き抜けるだろう。そうなれば拝金主義から抜け出ることが出来る。生きるために何が必要なのかが分かるようになるだろう。どこまでできるかわからないが、最大限の努力をしたいと思う。

Related Images:

 - 楽観農園