副業・複業・福業農家

   



 のぼたん農園の果樹園の水遣り用のドラム缶。田んぼの水の中間に入れてある。溢れる水はまた次の田んぼに戻るようになっている。現在6枚の段々畑になっているが、溜め池からの入水は水道の水程度である。それで水が回る。畦塗りもしていない。

 1960年代の農業は三ちゃん農業と言われた。爺ちゃんと、婆ちゃんと、母ちゃんの3ちゃんである。父ちゃんは出稼ぎに行く。あるいは工場勤めをする。日本の高度成長をになった農村の姿である。その子供達は都会に出て行った。

 地方の過疎である。耕作を放棄された中山間地の農地が、増え続けている。東京でもついに出て行く人の方が増えた。新しい暮らし方が模索されている。日本の経済状況の変化の中で、生き方を変えてゆく人が出てきたのだろう。これはその第一歩の変化である。

 石垣島に来て感じることは石垣島は田舎では無いと言うことだ。むしろ小田原よりも、都会的である。何故かと言えば、観光地だから都会の人向きに出来ているところがあるのだろう。もう一つの現実としては、昔のようないわゆる田舎はどこにも無いのかも知れない。

  石垣島で農業体験の出来る「のぼたん農園」を作っている。みんなに一番に聞かれることなのだが、農業で暮らして行けますか。ということになる。農業技術を身につけたからといって、農業では暮らしていけない。作物が生産できるようになったとしても、専業農家では食べていけない。

 だから、日本には専業農家は極めて少ない。3ちゃんがいまでは爺ちゃん婆ちゃんの2ちゃん農業である。自給的農家の増加。自給的農家は農水省の官僚言葉で、的を付けて含みを持たせているのだ。私が考え実践してきた自給農業者とは似て非なるものだ。

 自給農業者を育てなければならないと考えている。自給農業とは自分の食べる食料を自分で作るという農業のことだ。技術的にも、一般的農業とは違うところがある。自給農業で農薬を使う人は少ない。それは農家だっえじぶんの食べるものには農薬は使わない人がいるくらいだ。

 一日1時間働けば、自分の食べる食料は何とかなる。これはみんなで共同した場合で、純粋に一人であれば2時間になる。面積は一人100坪あれば自給のための食糧は生産できる。家族が3人ら300坪つまり一反百姓である。つまり、朝だけ農業でも。土日農業でも食糧自給は可能なのだ。

 家族の自給であれば、夫婦のどちらかが自給農業を行い、どちらかが勤めをする形もある。もちろん夫婦で内職をして、自給農業をするというのもあるだろうか。二人とも正社員で働き、土日を農業に当てるという事もありうる。食糧自給はできると言うところから考えて貰いたい。

 昔は趣味の本というと、副収入になるというのが売り文句だった。盆栽でも、ニワトリ飼育でもそんなうたい文句の本が多かった。犬や猫を飼えば、ブリーダーである。好きなことで暮らせると言うのが誰もが考える理想なのだろう。

 遊んで暮らせるというわけだ。好きな猫を飼って、それで暮らせるなら言うことが無いと考えるのだろう。私の場合は好きなニワトリを飼って暮らせた。卵の販売の自然養鶏だけでは難しい事もあり、日本鶏の種玉を販売していた。一個500円くらいには成るので、良い鶏を作出できれば、種玉は売れた。

 子供の頃の夢が自分の鶏種のニワトリを作ることだったから、自給自足生活の中でニワトリを飼うようになるのは当然のことだった。ササドリという鶏種を作り、自然養鶏を行った。そして、自給農業をやったわけだ。絵は描き続けていて、時には売れた。出した本の印税も少しはあった。

 世田谷学園の講師を辞めて以来、専業というようなものはなく、様々な事を行い暮らしをしてきた。安心立命して暮らすことが出来た。専業農家は勧めない。副業・複業・福業農家はこれからの暮らし方の一つになると思う。自給農業技術はこれからの世界で大切な技術になると思っている。

 私が養鶏を始めたときも、50年前どのようにしてニワトリが飼われていたのかが、分からなくなっていた。工場養鶏が全盛になり、伝統的な日本鶏の飼い方が失われていたのだ。江戸時代の日本は趣味のニワトリ文化が全盛だったのだ。ところがその技術は古い役に立たないものとして消えた。

 いま伝統稲作の技術も同じように消えようとしている。苗代で苗を作る技術も、昭和20年代山梨の境川で見た、障子や油紙を使った苗代の技術はもういまでは記憶にすら残っていないのでは無いだろうか。苗はハウスで作るものになっている。

 専業農業は止める人ばかりである。極端な平均年齢70歳の老齢化産業である。このことを裏返してみれば、農業なら70歳を超えてもやれる仕事だと言うことになる。実際私は72歳だが、若い人と同じくらいに働けていると思う。理由はそこそこの農作業を続けてきたために、それなりの体力が維持されている。

 自給農業は健康体操にも成る。スポーツジムへ通うよりも効果的にダイエットが出来る。医療費の削減にも成る。だから、副業・複業・福業である。好きなことをやり尽くす、自分の生き方を貫こうと思えば、何でもやらなければならない。

 今の時代、ネットと言うものがある。あと10年すれば、ネットでの商品取引が中心になる可能性も高い。一人でも発信することは出来る。力があれば、商品に魅力があれば、それなりのことは可能だ。吉本のお笑い芸人でも、ネットでの収入が中心という人がいるそうだ。しかもその収入はさんまさんに負けないほどあるとテレビで言っていた。

 たぶん絵画の市場だって同じになるだろう。魅力があるものなら正当に評価されるようになるはずだ。どこに住んでいたとしても、仕事が出来る時代は近づいている。そして、副業・複業・福業として、自給農業をすることだ。自給農業ほど自由な仕事は無い。

 すべて自分のペースで仕事が出来る。何しろ、一日1時間で良いのだ。毎朝出掛ける前に、農作業をするのもいい。逆に長い休みがとれる仕事であれば、農業を一ヶ月集中してやるというのでもいい。農業の仕事は様々である。自分に合う業種を選べば実に多様だ。

 自給農業を楽しい農業としなければならない。販売が無ければ、農業ほどおもしろい仕事は無いだろう。農業で食べなければならないと思うから、負担の大きな仕事になる。しかし、自分が食べるものを作るのであれば、楽しい部分だけをやれる。

 幸いなことに農地は放棄が続き、借りることが可能になってきている。好機到来である。地域によっては住宅まで用意してくれて待ってくれているところまである。マリンスポーツが好きならば、石垣島に来れば良い。冬のスポーツが好きなら北海道に行けば良いだろう。もちろんその両方に拠点を置くことだって出来る。
 

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