バトンタッチゾーンに入った。

新宮晋という風の造形作家がいる。一応現代美術作家と位置付けられてきた人だが、少し違うのだと思う。85歳の今「元気のぼり」という活動を続けている。東日本大震災で被災した地域を元気づけるのぼりを掲げようという事で、始まった活動である。今も全国で活動を継続している。
風は平等である。風を受け止める側の問題だと言われていた。石垣島は風の島である。常に風がある。この風をどのように受け止めるかが重要になる。と思って聞いていた。風を美しいものとして受け止めなければならない。のぼたん農園にそういう「元気のぼり」を掲げたいと思った。
風の彫刻家と呼ばれてきた新宮晋氏の作品は若い頃から注目していた。それは現代美術作家の中で、良く意図が読めたからという事がある。作品に筋が通っていた。一方でパリのグランパレのデザイナー展覧会で見た風を受ける金属の植物の作品との出会いがあった。
人が歩くとわずかに反応して揺れる作品。このわずかな揺れが、人間の呼吸に反応しているようで、金属のなかに生きものを感じた。人間が生きているという事を反応としてとらえている作品。その作品の面白さが頭に残っていて、日本に戻ってから新宮晋の作品を見て、驚いた訳だ。
風を生きものの反応としてとらえるのではなく、自然というものの姿を風の造形によってとらえようとしていた。ヨーロッパの人間主義と、日本の自然を受け入れる違いを考えた。しかし、その後、変わらないなとちょっと失望をしていた。どんどん複雑化して巧みになるのだが、自然の受け入れ方の面白さをとらえた初期の作品の鮮度を失った。評価を受けるという事は作家として問題があるとみていた。
久しぶりに見たのが、東日本大震災後の「元気のぼり」である。のぼりの風の受け方にむしろ新鮮さを感じた。こいのぼりは凄い造形だと改めて感じさせられた。作家が創造した形よりも、こいのぼりの素朴で強い形に驚いた。その形を再評価させた新宮晋がすごいのだろう。伝統というものは馬鹿にならない。
新宮晋氏が「バトンタッチゾーン」ということを言われている。今85歳でそういう意識があるというのだ。これまたすごい話だ。スピードを緩めて、ゆっくりと次に繋いでゆくと言われていた。なんだか胸に迫るものがあった。バトンを繋ぐには自分の速度を落とさなければならないという意識がすごいではないか。
自分のことを考えれば、さらにスピードを上げなければ、バトンを繋げないという気持ちだ。まだ繋ぐべきと考えているものが、完成していない。次の世代の人たちに役立つものにするためには、もうひと頑張りしなければならない状態だ。
確かに人間は繋いでゆくものだ。そうしなければ文化は生まれない。日本の男子400mリレーは世界トップクラスだ。U20世界陸上では金メダルをとっている。代表チームは今季世界1の記録だ。オリンピックでも銀メダルをとっている。何故かというほど強い。100Mの記録では負けているのに、リレーならば勝つのだ。
バトンリレーのやり方が際立って上手い。このバトンリレーはまさに紙一重で失敗することもままある。今回の世界陸上でも予選でリレーミスがあり失格だった。失敗をするギリギリまで詰めなければ、日本チームが上位に入ることはできないのだ。ここぞという時に、その神業のバトンリレーが出来るかである。
文化のバトンリレーのことだ。私は本気で自給農業の技術をバトンリレーしたいと考えている。その為にのぼたん農園をやっている。農業技術こそ人類にとって大切な文化だと思う。自給の田んぼをやってみたいというような人の多くが、本を読んで始める農業に入る人だ。
農業は実践以外にない。頭が先に行ってしまい、実践力が不足して、農業にまでは至らない人がままある。農業は自然の条件があまりに多様なので、本の知識では役立つことは少ない。大体うまい話はおかしなことだと思った方がいいくらいだ。草をとらないでいいという農業技術は、取るよりも大変な労力が必要になるという事だ。
しかし、世の中にはさまざまな空想的というような農法がある。いちいち批判したところで仕方がないので。収穫量で判断している。最高の農法であれば、植物は最高の出来になるはずだ。最高の出来ならば、お米ならば必ず、畝取りできる。そこまでいかない場合は無視していいと考えている。
収量は低いがお米に生命力が強いのだ。などと主張する人がいるが、迷惑な話だ。そういうほら話を信じて、人の話を聞こうとしない人の方を増やしている。そして農業から離脱する。どんなやり方でもいいが、まずは畝取りしてから、初めて物が言える。それまでは農法のことを語る資格はない。
バトンリレーを速度を落としてゆっくりと言う訳には行かないので、急いでいる。私が動ける間に、自給農業の技術を伝えたいと思っている。あと5年動けると考えてのぼたん農園を始めたが、2年経過してまだ5年くらいはまだ動けそうだ。それまでに、「ひこばえ、アカウキクサ、農法」を完成したい。
12月に種まき。1月に田植え。5月に一度目の収穫。8月に2度目の収穫。11月に3度目の収穫。反収年間で15俵が第一目標である。反収900キロである。本来であれば、畝取りを3回できれば、1800キロまで行くはずであるが、これは稲という植物に無理をかけそうな気がしている。
一回目が5俵止まりという考えである。田植えも40㎝角植えにしたらどうかと考えている。収量が下がるにしても、風の通りが良くなるから病気ができにくい。本数が少ないのだから管理が楽である。苗作りも当然楽になる。田植えも歩きやすくてやりやすい。コロガシも楽になる。
30㎝角から40㎝角に変わると、1畝の苗数は約半分より少なくなる。つまり同じ穂数であれば、収量も半分になる。しかし、植え付け面積が30角から40角間隔に変わることで、一株の分げつは増えるはずだ。もし20分げつが30分げつになれば、50%増えれば、75%の収量が期待される。60㎝角では分げつが50本を超えてもがっちりした株であった。この実験は圷さんのお陰だ。
一株の田植えの苗数を3本にしたいと考えている。その理由は、風にその方が強いからである。石垣島の強風に耐える苗は、大苗の場合、3本植の必要がある。コロガシも頻繁にできる。草取りも楽だし、アカウキクサの広がりも良くなるはずだ。
ついついバトンリレーする内容の方を書いてしまった。考えるとそこに行ってしまう。私が生きてきた価値があり次にバトンリレーするものがあるとすれば、自給農業の技術だろう。養鶏と田んぼである。これは次の時代に必ず有効なものになる。だから、必ず再現可能な技術に整理しなければならない。
そして、出来る限り手作業で出来ること。化石燃料に依存した農業はもう終わりである。75歳ぐらいまでならだれでもできる軽作業の農業でなければならない。子供もできる。誰でも楽しみで出来るくらいの、楽な農業技術にしたい。
反収で900キロだから、一人の自給ならば1畝で90キロで十分だろう。60坪ぐらいならば、機械など全く必要がない。草だって手取りとコロガシで完全に取り切れる。もうそこまで見えてきている。バトンリレーゾーンは近い。