ミズオオバコとミズワラビとアカウキクサ

   

 ミズオオバコとミズワラビとアカウキクサ。のぼたん農園にある、絶滅危惧種である。地域によってすでに絶滅をしたとされている地域もある植物である。いずれも水田雑草であったのだが、除草剤が出来て、絶滅が危惧される植物になったものである。

 石垣島でも、ほとんど見られなくなっているらしい。一時あちこちの水のある場所を探して歩いたのだが見つからなかったものである。のぼたん農園以外ではほとんど見ていないが、サイエンスガーデンにはまだあると言う話は聞いているが、3種が揃ってあるところは無いかと思う。水田雑草なのだから、ないほうが良い植物なのだ。

 同じ水田雑草でも、日本中でヒエやコナギは、除草剤にも負けずに相変わらず全盛を極めている。のぼたん農園では、水田雑草としては3年目になり、昔、田んぼが行われていたという辺りから、徐々に雑草が増えてきて、コナギ、ヒエ、カヤツリグサ、が出てきている。同時に、ミズオオバコやミズワラビは出てきた。アカウキクサは浸み自賛の田んぼから分けて貰ったものが広がった。

 60年も田んぼが行われていなかったのだが、種が生き残っていて、またしぶとく再生してきたものだ。牧草地だったところを造成して田んぼにした場所ではまだそれ程田んぼ雑草はなく、つる性の牧草が田んぼに広がってくるのが一番の困った雑草である。

 水田雑草は田んぼで除草剤を使うと言うことが原因で、消えてきたものではあるが、さらに大きな要因は水辺というものがなくなってきたことだ。地域によっては、水源に溜め池があったり、川から水を分岐して田んぼまでの水路が自然護岸であった。いまでは、地下水を汲み上げて、地中配管によって水が供給されるところも多くなっている。
 
 水路がなくなると水田雑草がなくなるだけでなく、水生の生物全般が一気に減少してしまう。耕地整理で水路は3面張りになり、コンクリートで囲われた水田が日本全国ほとんどの地域で広がっている。これは寂しい景色であるが、農家には管理がなくなりありがたいことなのだ。あぜ道自体がなくなる水田地帯もある。

 石垣島の情報誌である「月刊やいま」に「畦道を行く」に絵を隔月で連載させて貰っているが、畦道も失われて行く景色なのかも知れない。畦道は人間が作ったおもしろさがある。惹きつけられる。作業道であるが、畦道には農家の気持ちと歴史が表れて居る。何でというような複雑な線形が多いものだ。

 畦道が直線のコンクリート畦になったときに、実は風景も失われているのだ。人間がすったもんだして、妥協の産物のような水路と道があったところが、日本らしい部落の田んぼの水路であり、田んぼの畦道なのだ。コンクリートになり、畦から入る雑草もなくなった。

 コンクリートの田んぼを絵を描く気がしないのだ。確かに作業性からも、経済合理性からも畦道は無駄なものなのかも知れない。水路も同様である。地下配水管で、蛇口をひねれば水が出れば、どれほど作業効率が良くなることかと思う。しかし、水路や畦道がなくなることで失われているものがある。

 それは田んぼを命の場だと考えてきた農家の気持ちの交流で在る。耕地整理された、四角四面の田んぼでは、工場で働いているような気分になってしまったのだ。給与は前より良いかも知れないが、自分の血が通った先祖から受け継いだ場所という気持ちが失われた。

 その昔、田んぼが作られるときには、自然の地形に合わせて作られた。自然が作った地形の起伏までなくなる。起伏が出来るには理由があったのだ。あの地形のわずかな変化に沿って、複雑な模様を描く棚田の人間と、自然の関わりの美しさの表現が失われる。それは田んぼを愛した先人達の歴史も失われたと言うことなのだ。

 農作業の中でも、田んぼの草取りほど辛い作業はない。炎天下座ることすら出来ない果てしない田んぼの中での草取り、これほど苦しい農作業はないと思う。だから農家の方が除草剤を使うことを悪い事だと考えたことも無い。当たり前の事だと思う。

 もし農家の方が除草剤を使うことをおかしいと考える人が居たら、夏の田んぼで草取りをしてみて欲しい。それでも除草剤を良くないと言えるなら、言えば良い。そして年に一度ぐらい、除草剤を使わない田んぼの草取りの手伝いに行く必要があるだろう。まあ、お米も、パンも食べないというなら別だが。

 そう、「ミズオオバコ」と「ミズワラビ」と「アカウキクサ」の話だった。困った田んぼ雑草が、日本から消えかかっているという話だ。農家にとっては朗報であり、環境原理主義者にとっては悲報なのだ。そもそも田んぼ雑草というものは、特定外来生物と言っても良いもののはずだ。除草されるのは当たり前の事だ。

 お米と一緒に日本にやってきた帰化植物が、多様な田んぼ雑草であると考えても良いと思われる。あの手に負えないコナギという田んぼ雑草が、お米と一緒に日本に渡来した植物とみられている。もちろんお米だって中国からやってきた植物である。日本にあったそもそもの湿地植物では、渡来してきた田んぼ雑草全般に勝てなかったと思われる。

 お米の御陰で日本人は出来たようなものだから、中国の絶対的な文化的影響の中でも米食を教えて貰ったことは、決定的な文化への影響だと考えて良い。この稲作技術を管理していたのが、天皇家の水土技術である。天皇をこの観点から考えないと重要な要素が抜け落ちることになる。

 田んぼが日本に伝わってきた歴史については、色々書いて置きたいことがあるがいまは止めて、3つの希少生物の話に進む。 ミズオオバコは実に美しい、花を咲かせる。淡いピンクであるが、冬の間には真っ白い花を咲かせている。春先と言っても石垣だから初夏の気候ではと言う方が適切だろうが。

 徐々に赤さをほんのりと強める。この淡さが何ともかそけく、美しい。イネ作りの邪魔をする雑草だからといってこの花を見ていると抜いてしまうことが惜しいほどである。ミズオオバコも良く広がるが、稲を疎外する力は弱いようだ。

 そしてこのミズオオバコは食べることが出来る。取ってすぐに枯れてしまうので、素早く湯がいて、お浸しにするとなかなか美味しいものだ。また薬効があり、漢方薬としても使われている植物である。日本に古来よりあったと言うことになっては居るが、古い時代に稲と共にやってきた可能性は高いと見ている。

 ミズワラビは東北地方の田んぼや沼地が北限の植物である。多分田んぼと共に、北限を広げていった植物なのだろう。稲は日本人が大切な作物として、信仰心を持って、北限を徐々に広げたのだ。田んぼの水を温める農業技術で、いまでは北海道までお米が作れるようになった。

 日本人は作れないような場所でも何としても、魂であるお米を作ろうと、北に北に田んぼを広げたのだ。その思いを利用して田んぼ雑草たちも、北限を広げていったに違いない。だから、そもそもは石垣の亜熱帯は田んぼ雑草の得意とする場所なのだ。

 多分田んぼの北への広がりに伴って、ミズワラビも北に分布域を広げたのだろう。ミズワラビはシダ植物で、独特の形状をしている。同じミズワラビなのに、成長の過程で姿を変える。ワラビに似ているというほどではないが、ミズワラビも昔は普通に食べられていた植物である。

 そしてアカウキクサ。これも水田雑草ではあるが、窒素の固定能力あり、緑肥作物として、東南アジアでは利用されてきた。のぼたん農園では通年通水をして、アカウキクサを広げて、田んぼの肥料にしようとしている。リンに反応して、増減するようだ。

 水辺の植物として、石垣島のこの希少植物3点セットを販売したら良いかも知れない。十分商品価値があるものだろう。売られては居るようだが、なかなか増やすことは出来ないようだ。水生植物の 杜若園芸 でも売られては居るのだが、品切れのようだ。
 
 ついでなので書いておけば、舟原溜め池にある、カキツバタは京都の杜若園芸で売って貰ったものだ。一度10株送ってもらい、溜め池に注意深く植えたにもかかわらず、枯れてしまった。経過を写真にとり送った。何ともう一度送ってくれた。今度は見事に活着したのだ。こんな良心的な園芸屋さんはまず無いだろう。

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