米価高騰と備蓄米放出

      2025/04/24


 畦の畑のレモングラスに穂が出た。

 米価高騰が起きて、やっと農水省が備蓄米放出を決めた。農水省は応札を10日に締め切り、12日までに落札業者が決まり。13日に落札結果が出た。15万トンのうちの14・2万トンが落札。60キロあたりの平均落札価格は2万1217円だった。 平均落札価格は税込みにすると2万2914円で、直近1月の業者間取引価格(60キロあたり2万5927円、税込み)をやや下回った。 

 これは決して安いという価格ではない。ここには古米も混ざっているし、聞いたこともない銘柄も多かった。3月下旬にはコメが店頭に出回る見通しではある。銘柄米はそれほどは下がらないと思われる。以前農水の予測の中には放出することを決めるだけで米価は下がると言うこともあったが間違えである。

 放出が決まってからも米価は下がるどころが3月初めになってもまだ上がっている。多くの業者が米価は備蓄米放出では下がらないとみているのだろう。業者は昨年の米の収量の実際をもう少し少ないとみている。10キロ5千円を切るようなことはない。6千円ぐらいまで下がるかどうか。

 月内に残る7万トンと今回落札されなかった0.8万トンが競売に出されることになる。その頃には備蓄米が市場に出回るだろうから、次の落札価格こそ、この後の米価の動向を表すことになるだろう。ここでも大きくは下がらないとみている。

 キャノングローバルの山下さんによると、「JAと農水省がついている限り、米価は下がらない。」という意見である。私はもう少し違う考えだが、下がらないとみている。理由は実際に昨年の稲作の経験から、農水省発表のお米の収量がおかしいと言うことを感じているからだ。

 昨年の作況指数があまりに高すぎる。平年作と言うことが言われていたが、あの暑さで平年作はあり得ないはずだ。作況指数の発表でがっくりきたのだ。まさかの100の数値であった。少なくとも小田原では平年作どころか、95ぐらいの不作の感触である。

 田んぼをあちこち見て回って、全体に良くなかった。だから後から、(最後の作況指数は大分後になってから発表される。)作況指数が農水から発表されたとき、平年作100は信じがたいものだった。古い人間のせいか、まさか農水のお役人が嘘をつくとは思えなかったので、あれこれ考え込んだ。

 稲作りをしていたら、当然のことだが、誰でもその年の稲作を総括する。何が良かったのか、何が悪かったのか。そして来年に備えるわけだ。昨年予想外に不稔が多かった。それなりに立派な穂だったし、稲わらの量は例年並みだったのだが、案外脱穀してみると収量が悪かった。

 1等米は減るのではないかとみていた。所がそうでもない結果が出たので、不思議でならなかった。自分たちの田んぼの何が悪かったのか、非常に迷うことになった。有機農法は慣行農法よりも、高温障害に弱かったというのが、あのときの挫折感の中の、私なりの結論だった。それでもいろいろ疑念は残っていた。

 作況指数を決める人の能力が下がっているのではないだろうか。と疑った。この頃日本人はどの分野でも、おしなべて能力の劣化が起きている。今まで測定していた人が、退職して測定の基準が変わったのではないか。あるいは高めに出すようにという指示が農水から出ていたのかもしれない。などと穿った見方もしたくなる。

 その後どこかへお米が消えたという話になった。消えたのではなく採れていないのではないだろうか。と考えざる得なかった。想像以上の量が隠されているのであれば、農水が放出すると言うだけで、相場が下がる可能性も確かにある。しかし、未だ隠されていると言われるお米が出荷されている形跡はない。

 米価格は今のところは下がらない。隠されているのではなく、ない可能性が出てきたのかもしれない。いずれにしても農水省にお米の流通全体を把握する仕組みがすでにない。と言うことだけは明らかになった。これでは主食米の農業政策を決めることは難しいことになる。官僚の能力の低下もあるのだろう。
 
 石破氏が農水省の対応を激怒していると言うことらしい。減反政策を批判したようだ。減反政策は建前ではなくなっているのだが、違う形で実質減反政策は続いている。この点では報道の劣化である。農水の減反政策廃止発表を鵜呑みにして、垂れ流したのだ。

 石破氏の持論は食糧自給率60%である。是非とも手を打ってほしいものだ。農地の大規模農家への集約はまず必要だ。主食であるお米の収穫量に不審がある。これでは食料安全保障の根幹が揺らぎかねないだろう。お米は確かに高いが、今ぐらいの価格が生産コストから言えば妥当な価格である。

 これは小さな農家の生産コストからの感想だ。日本には生産コストが違いすぎる農業が2系統存在する。この高値が続くなら今年もお米を作ろうという稲作農家さんは多いと思う。廃業する人も減るはずだ。それは良いことなのだが、それだけではすまない。

 100ヘクタール以上の大規模企業農家への、農地の効率的な集約には障害にもなる。農水の政策としては、小さい農家が営農を認められる農地を限定すべきなのだ。税制と環境支払いで対応すれば良い。生産性の回復をしなければ、ならないのはどの分野も同じことだ。

 この価格が妥当な生産価格だとするのは、日本の小さな稲作農家にとってということになる。100ヘクタール以上の大規模農家においては、生産費がかなり下がるので、もう少し下がっても経営できる。小さな稲作農家は地方創生にも関係してくるので、止めてしまうと違う問題が出てくる。

 米価格とは別に、地域割りをして個別補償をすべきなのだ。守って貰いたい農地を決めて、そこで耕作する人には生活可能なだけに費用を上乗せする。それは環境保護費用と考えれば良い。その代わり、その地域で行う農業は有機農業に限定して貰う。少なくとも使って良い農薬を限定的なものにする。

 大規模農家と小規模農家を棲み分けをすることだ。百姓を続けたい人たちには、是非とも中山間地で、里地里山の維持管理もやって貰う。その地域で暮らしてくれれば生活して行けるというだけの、戸別補償を行う以外に方法はない。

 いわば小さな農家が、日本の国土保全隊である。消防団や子供見回り隊なども兼ねる。地域維持の隊員でもある。もちろんそれが嫌な人はやらないでもかまわない。ただ戸別補償はない。中山間地には自給農業地帯を作り、無償で農業機械を貸し出す。自給的農家には、子ども手当や、教育の補償を考えて行く。

 暮らすことが出来る中山間地を作らなければならない。贅沢な暮らしが出来ないでも良い。いわば最低限の生活保護世帯の補償で良い。半農半国土保全である。自給農家に条件不利な地域の農業を続けて貰い、国土の保全を行って行く。もう一度日本が人らしくあった里地里山を作り出して貰う。

 日本がどこを目指すのかである。能力主義の日本はもういらない。安寧の国日本である。今回の米価高騰はこの国の危機を表している。官僚の能力の低下。報道の衰退。政治の方向性の喪失。世界の危機への対応が遅れに遅れている。まず食べ物の確保だけはしなければならない。

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