日本人はどこから来たのか。
2025/04/24

日本人がどこから来たのかを考える前提として、日本人とはどういう人なのか考える必要がある。いくつかの定義があるということになる。わかりきったことを回りくどく言うので、おかしいと言えばおかしいことなのだが、やはりここから話を始めないと整理がつかないことになる。
まず日本列島に暮らす人が日本人という概念がある。技能研修で日本に来ている出稼ぎ労働の外国人は、日本に暮らしているのだから日本人かと言えば、そうともいえる考え方もある。もちろん、そうではないという考え方も出来る。帰れば日本人でなくなるという分かれ目がある日本人の分類もある。
日本の国籍があるから日本人という考え方もある。では、国という考え方がなかった、大宝律令以前の日本列島に暮らしていた人たちは日本人ではなかったということになる。国を定める以前には日本人はいなかったことになる。これも考え方ではあるが、少し違和感がある。
では縄文人は日本人なのか。弥生人は日本人なのか。定義の仕方で日本人は変わってくる。定義がぶれる中で、日本人は特別な民族だという、民族主義という思想が混ざってくるのでややっこしい。日本人は天皇の子供なのだという人もいるのかもしれない。そして、今民族主義は消え去ろうとしている。
日本人という枠は確かにあるのだが、消えゆく課程の枠組みと言うことだろう。相変わらず国家主義という枠はある。中国など、中華思想で周囲の民族をできる限り、中国人の枠組みに入れようとしている。少数民族の言葉を消滅させて、中国語教育に躍起になっている。
日本語を母国語としてしゃべる人が日本人という考え方もある。日本語は累計の少ない言語らしい。単純な単語、例えば2音でで出来ている「かお」「ゆく」「はい」のような単語は、ポリネシアの方の単語に累計の単語が多いらしい。また文法的には北の方の朝鮮、モンゴル、トルコが比較的近いらしい。
確かに日本語を失うときに、日本人という枠組みが消えるのかもしれない。最近日本語も衰えてきた感がある。微妙な表現が失われつつあるのではないか。その意味では方言が消えてゆくと言うことは、その地方が消滅すると言うことを意味しているともいえる。
アフリカを6万年前に出た人類は、生息域を地球上全体に広げていく。日本人がアフリカから来たと言うことだけは間違いがない。地球上で最後に1万年前に到達したのが、モアイ像を造り続けたイースター島があるポリネシア。人類が最後に進出した場所となっている。なぜか人類は移動し続けている。それは今も続いている。
アメリカ人を考えてみればよくわかる。いろいろの人が混ざり合ってアメリカに暮らしている。不法移民を強制送還するのだと言うことだが、そもそもアメリカ人は原住民から見れば、全員が不法移民のような者だ。しかし、今となればごちゃごちゃにまぜこぜになって、アメリカ人という枠がある。
そういう動物は他にはいない。日本に到達した最初の一族が、4万年前に日本列島に到着したことは確かだ。追われ追われてやって来たのか、食料のある場所を求めて移動したのか。好奇心の強い冒険好きだったのかはわからない。
4万年前の痕跡、旧石器時代の遺物が発掘されている。その後ひっきりなしにいろいろのルートを通り日本に来た人がいたということがわかっている。短縮してみれば、アメリカと何ら変わらないことなのだ。世界中がまぜこぜの人類と考えた方がいいようだ。
日本列島に住み着き、暮らし始めている。その動いている過程が、日本人の総和と言うことのような気がする。縄文時代に狩猟採取生活の比較的山岳地生活でで縄文人が生まれる。そして古墳時代になり、大量の大陸方面からの避難民とともに、稲作がもたらされ、平地に暮らし始めた日本人は弥生人と言われる人たちが中心になる。
それが大和になる。大和朝廷につながる。天皇家はそういう意味では縄文時代から日本にいた人たちではなく、稲作文化を携えて日本に来た、比較的古い稲作文化の一族だったのかもしれない。その稲作文化が縄文人の日本人を大きく変えることになる。
どの民族も、移動混血の繰り返しの中にあるのだろう。比較的、まとまりがあるとか、全く捉えどころがないほど交雑しているとか。人間を血液的な意味の人種で見る考えはあまり現代社会では、意味が薄い。コンピュター革命は暮らしを均一化をもたらし、世界中が似たような人類に収束してゆくのだろう。
日本の場合、通り過ぎるような地理的条件ではなく、ある程度どんずまり状況の場所だった。日本からハワイにまで行った人類はいない。行こうとした人もたどり着いた人もいたかもしれないが、そこで定着するほどの数の人が移り住むことはなかった。
こうしたことが、ある程度わかってきたのは、ミトコンドリアDNAの研究による。古い人骨から、ミトコンドリアのDNAを分析する技術が確立された。今から20年前ぐらいからである。これで稲のゲノム解析から、稲の起源が特定されたことと同じである。ただし、これは女性の遺伝子だけの問題だ。
外部から違う種族が進出してきて、元から底に生活していた人たちを征服することもあっただろう。そして残された女性と交雑することになったとし他場合、外部から来た征服民族のミトコンドリアはないのだ。その外部からの男の系統がどうなったのかはわからないのだ。女性が生き残れば、そのミトコンドリアは今に伝わることになる。
「日本人にもっとも多いハプログループは、D4、D5のDグループで、約4割を占めています。このグループは、中央アジア、東アジアで優勢で、朝鮮半島や中国東北部でもこの二つが人口の3~4割を占めています。
ハプログループBは、日本人の7人に一人が該当する第二集団。およそ4万年ほど前に中国の南部で発生したと推定され、東アジア沿岸から北上する過程で日本に上陸したものと思われ、その後南太平洋から南米までも拡散しています。
ハプログループBは、日本人の7人に一人が該当する第二集団。およそ4万年ほど前に中国の南部で発生したと推定され、東アジア沿岸から北上する過程で日本に上陸したものと思われ、その後南太平洋から南米までも拡散しています。
また、4万年以上前に誕生したハプログループM7は、2万5000年前に枝分かれしたa、b、cの3つのサブグループがあり、M7aは琉球列島を通って日本に入ってきたと考えられ、本土では約7.5%ですが、沖縄では4人に一人がこのグループです」
現代日本人が、縄文人と渡来系弥生人の混血であるという、小学生の頃に教えてもらった説はおおむね妥当だったと考えていいようだ。また人類の移動を経路を考えると、4万年前の時代に、海を渡る移動もかなり見られる。航海術を持つ人類がすでにいたのだ。陸続きでなければ移動できないという考えは捨てなければならない。
しかし、縄文人も決して一様でない。関東縄文人の源流をアジアの狭い地域に特定するのはむずかしい。インドネシアの島々に進んだ人と、沖縄に来た人たちは近いとDNA配列とされる。アイヌと八重山の人がDNA的には近いと言う調査結果がある。
また、朝鮮半島にも縄文人と同じDNA配列を持つ人たちがいるというのだ。北海道と沖縄の人たちがDNA縄文人のDNA配列を残している割合が高いと言うこともある。日本人も様々に交雑し、移動しながら今の形になったが、あまり交雑のない人たちが日本列島の南北に残った。と言うことのようだ。