高額医療費は見直すべきか

   



 共産党の京都の議員が高額医療費を一律1万円を上限に下げるべきだ。国会で主張していた。そんな考えもあるのかとは思ったが、共産主義者のつもりだが、日本の医療の維持のことを考えているのか疑問だ。ガンの治療費には高額な医療がある。

 様々な難病があり月に100万円もかかる医療費、無制限に受けることなど貧乏な借金まみれの国では不可能なことだ。たとえその医療がなければ死ぬ人であってもだ。この機会に死というものを、あるいは生きると言うことを、どう言うものか考えてみなければならない。

 死ぬ人がかわいそうだから、いくら費用をかけてもかまわない。という考え方はおかしい。もし自分の費用で医療にかかるとすれば、子供の食事を選ぶか、年寄りを病院に行かせるかの選択と言うことだってある。それは国全体にも置き換えられることなのだ。

 特に死が近づいた老齢になれば、高所得者以外の70歳以上と75歳以上では、比率が違うのだが医療費は下げられている。しかし、その高齢者こそ医療費の増大の原因になっている。医療保険の問題は実は高齢者医療の問題と言える。

 医療費を年齢別にみると、0~14 歳は2兆 6,359 億円( 5.6%)、15~44 歳は5兆 7,317 億円(12.3%)、45~64 歳は 10 兆 2,140 億円( 21.9%)、65 歳以上は 28 兆 1,151 億円( 60.2%)となっている。老人が医療費の60%も閉めているのだ。

 人口一人当たり国民医療費をみると、65歳未満は20万9,500円、65歳以上は77万5,900円となっ ている。そのうち医科診療医療費では、65歳未満が14万2,300円、65歳以上が58万5,100円となっ ている。 薬局調剤医療費では、65歳未満が3万9,400円、65歳以上が12万4,000円となっている。

 医療費の問題は老人医療の問題として、考えてみるべきだ。報道も敬老精神なのか、あまり老人医療をむき出して問題にしない。結局死んで行くことには医療費がかかる。しかもいよいよ死ぬことになれば、延命医療で不思議なお金が生ずる。それを経営の柱にしている病院もある。

 その老人にかかる医療費を、数の減少している働き盛りの若者に負担して貰っているのが日本の医療保険だ。日本の人口における高齢者の割合は上昇し続けている。2024年1月の概算値では75歳以上の割合が16.3%。この数値は前年同月比で3.83%増加している。

 一方で生産年齢人口(15~64歳)は1995年をピークに減少しており、2050年には5,275万人(2021年から29.2%減)に減少すると見込まれている 。2024年に健康保険料と国民健康保険料が値上げされた理由は高齢者医療費の確保と中間層への保険料負担への配慮である。

 政府は、この自己負担の上限額を、ことしの夏から年収や年齢に応じて引き上げることを一度決めた。年収600万円の人が、ひと月に医療費が100万円かかった場合。自己負担の上限額は最終的に8万100円程度となる。これをあげようというのだ。

 私はやむ得ないと考えている。働いている人に健康保険料として、100万円の内92万円の負担をさせている。それがさらに増えて行こうとしている。これでは働くものの負担が大きすぎる。いくらか軽減して、健康保険を維持しようと考えるのは当然ではないか。

 軍事費を減らせ。法人税を増やせ。確かにそういう主張はわからないではないが、それはひとまず置いて、国民皆保険を維持するためには、国庫負担もあるが、まずは働いているときに、負担をして置き、働けなくなったときには安く医療を受けられるというものである。

 ところが、現状では老人医療費を今働いている人たちが過大に負担をしていて、その人たちが老人になったときには、健康保険自体が破綻をしているのではないか。さらに人口減少は進むだろう。一人の子供が2人の両親の面倒を見る必要が出てきている。老人医療費は削減せざる得ない。

 その前提として、人間であれば、死ぬときには死を受け入れて死ぬ覚悟である。延命治療は保健医療から外すべきだ。延命して貰いたい人は自己負担で延命治療を受けるべきだ。もう生き返ることはない、意識ももうろうとした何も出来ない自分が、延命されていることは耐えがたいことだ。

 それぞれの考えはあるだろうから、あくまで医療を頼りたいという人もいるのだろうが、それは自己負担にすべきだ。75歳以上の医療は老人医療として別枠で考えるべきではないか。75歳以上の医療費は18.8兆円と4.5%増え、全体に占める割合は39.8%になった。医療費の4割が後期高齢者なのだ。

 75歳以上の1人あたり医療費は平均96万5000円と0.9%上昇し、75歳未満の平均の約4倍になっている。後期高齢者の一人として言わして貰うが、医療は自己負担でかまわないと思う。高額な医療費が払えないのであれば、そのときを死ぬときだと覚悟をする。それが運命である。

 若い人の負担になってまで生き続けたくない。はっきり言って老人が人口減少のかどき社会の負担なのだ。それが病気の老人となれば尚更のことである。こんなことは若い人は言いたくても言えないのだろうから、あえて後期高齢者の一人として主張する。

 国会議論でもこの点は避けられている。
 国としての医療は75歳まで責任を持てばもう良いのではないか。後は自己責任にする。若い人の高額医療費ばかり言われている。本当は老人医療問題なのだ。老人は医療から外せなどと言えば、選挙で負けるから誰も言わない。

 老人でとことん医療を受けたいと思う人間は、そういう保険に入れば良いだろう。私は保険には入らないが、チューリッヒの終身医療保険プレミアムZ では 75歳の私が、月々35,000円。100歳で死ぬまでに1000万円くらい払えばおおよその医療は受けられるらしい。本当のところはわからないが。

 多分このくらいの負担を、後期高齢者は医療だけで、若い人に負担をかけていると言うことだろう。あくまで自己負担で老人医療はやって貰えば良い。そんなに払いたくない、あるいは払えないという人は、死を受け入れると言うことだ。それはおかしいことでも異常なことでもない。

 まず後期高齢者になったならば、自分の死を語るべきだ。どのように死ぬかである。そして覚悟を決めなければならない。もう生きている時間はそうないわけだ。私は100歳まで生きるつもりでいる。100歳まで絵が描きたい。何とか90歳ぐらいまでは農作業をしたい。欲である。

 それは願いである。夢である。そうできない場合もあると言うことは覚悟しなければならない。それでも100歳までのつもりで日々健康に、精一杯暮らす。それでもダメなこともある、という覚悟をする他ない。そのときは死を受け入れようと思う。それがせめてもの坊さんとして生きて死ぬ覚悟である。

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