藝術がなぜ必要か。
人間に芸術というものがなぜ必要なのかを考えてみたい。私にとっては芸術行為としての「私絵画を描く」ことが生きるという事を深く感じさせてもらえることになっている。生きている。笹村出として行為を行っている。この深いところでの実感が芸術行為だと考えている。
自分が生まれてきて、生きている。そして死んでゆく。その生命としての時間をどのように確かなものにできるのかを、求め続けてきた。社会的に、歴史的に名を遺すような人間になれれば、生きたということを確かなものにできると考えた時期もあった。
しかし、すごいなとその人間力のようなものに圧倒されたのが、三沢先生や山本素峰先生や萩野先生という、世田谷学園の3人の禅宗の僧侶だった。そこに確かに生きている人間がいると思えた。それは地位とか、社会的な評価とは別のことで、日々をその人間として生きている人こそ、目標ではないかと思うようになった。
高校生の頃の頃のことだ。禅宗の修業によってあの特別な人間の大きさが生まれているのだと思えた。そして禅宗の修業の真似事を始めた。ところが、絵を描くというような行為が、そこでは否定されていた。このことの矛盾が自分の中でどうにも解決できない事になった。
それは大学に行くまで続いた悩みだった。高校卒業後は僧侶になる修行に入ろうと考えてはいた。しかし、絵を描くという事を捨てなければないという事があり、中途半端な日々であったと思う。悩みながら大学に行くことにしてたのだが、その曖昧な気持ちは続いた。
山本先生に言われていたこともあり、大乗寺に行こうかと思いながら、結局は行けなかった。苦しい気持ちもあったが、絵を描くという事にのめり込んでいった。絵を描いていう自分だけが、自分のようであった。絵を描くことが気持ちを支えてくれることだった。
絵を描くという事に救われた。その頃描いた絵が今目の前に3枚あるが、今の絵と繋がっている。どこか今のものより重たいところのある絵だ。苦しかったのだろう。その後職業としての絵描きになろうとした。ところが、職業としての絵描きにはなれなかった。
評価されるような要領の良さは自分にはなかった。なりたくてなれなかったことは辛いことであったが、今思えば評価されないような絵しか描けなかったことは悪いことではなかった。50年前の同世代の当時評価されていた人の絵が今の時点で見れば、社会的評価ではなかったことが良く分かる。
絵で生計を立てられなかった、要領の悪さや、何かにこだわりを持ち続けたことは、今になれば悪いことではなかった。自分の絵だけを考えて、絵を描き続けることができた。職業としての絵描きを目指したころがやはり一番ダメな絵を描いている。
世間はその受けようといういやらしさを見抜いてしまうのだろう。しかも受けたい上に、芸術でありたいというような、さらに嫌らしさがつきまとっているのだから、絵画の世界での評価とは縁がないのは当然のことだったのだろう。そうやって藻掻いていたわけだ。
それまでは週に何度も銀座の画廊を巡り歩いていた。そういう仲間もたくさんできて、年に5回も6回も個展をしていた。このままでは求めていた絵を描けないと思って、山北で開墾生活に入った。絵を描くことを止めたというよりも、絵描きになることはもう止めようと考えて、東京にいることを止めた。
東京から離れて、自分の身体だけで生きてみようと考えた。描けなくなった絵のことを原点から考え直してみようとした。そういえばその頃は一人で座禅をしていた。絵で失った自分の軸のようなものを、取り戻す拠り所のようなものを求めていた気がする。
その後の35年間は養鶏や農業で暮らしを立てながら、絵を描いてきた。絵を描くことが、絵の外部的な評価を気にしないで描いてきたように思う。それでもどこかに良い絵を描きたいという、訳の分からない意識が働くので、無意識で絵に従う事が出来るのかを心掛けている。
こうして、絵を描き続けてきた。評価されるような絵は描けなかったし、今はさすがにそういう気持ちもない。ただ、自分というものが描いたと言えるような絵を確認したい。人間に自分というものがあるのであれば、自分らしい絵もあるはずだ。
自分の絵を描くことは誰にでも可能なことのはずだ。今描いている絵もそうなのかもしれない。10年後に描く絵がそうなのかもしれない。自分の絵に向って描いてゆく。そのようにして描く行為の中に芸術としての絵画が存在すると思っている。
絵画は社会的な芸術としての意味は失われた。社会に影響を与えるような絵画はもう生まれないだろう。絵画の最後の時代を感じながら絵を描いてきたのだと思う。そして、絵画は一種の宗教のように、一人ひとりが自分の生きる目標として描く行為に意味を見出すようになった。
それは舞踏家の舞踏であり、シャーマンの向こうの世界に入り込んだ陶酔のおどり。観衆は居るのだが、舞踏に入り込めば入り込むほど、観衆は消えてゆく。ある種の観衆に見守られて、しかし、自分の中に埋没して何かに従い動かされてゆく。人間の行為。行為の芸術。<
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これは動物としての人間に必要な行為なのかもしれない。何万年も前の人類が壁画を描いた。描かない訳には行かなかった衝動があるのだろう。祈りをこめて描いたのだろう。生きてゆくために必要な描くという行為がある。描くことで達成されるものがある。
芸術としての絵画は、社会的にものとして存在して影響を与えるというものから、個々人の生きるという事を確認する行為に変わってゆくのだろう。特定の人の為にとか、神とか宗教の為に制作する絵画は、個人の中で制作される露土のようなものになる。
絵画の背景として存在する芸術としての社会の価値観が失われたのだ。失われたものをあるかもしれないと考えて、苦しい制作をした。その結果、無いという自分なりの確証を得ることができた。そして、自分の好意として描くという事にたどり着いた。
それを私絵画と呼ぶことにした。私絵画という言葉は社会的には認知されてはいないが、多くの絵を描く人の中に、私絵画と考える以外にない、と言える作品をみる。それはまさに芸術としての絵画だと見える。絵画は社会性を失ったが、個々人には生きる重要な行為として、再生している。
芸術としての意味は、人間が生きるために、創作行為という事に重きが置かれるようになったのだと考えている。できた作品のものとしての意味を重視するのではなく、芸術を求める人間の行為の方に意味があると考えるようになった。