五輪汚職も統一教会も同根
東京オリンピックは経済活性化が盛んに言われて開かれたオリンピックだった。経済効果が何百億円だとか、だから開催すべきと言うことだった。確かに金儲けをしたい人には格好の機会だったようだ。こんな情けないオリンピックの開催国になるべきではなかった。
誘致活動でも確か竹田恒和・元招致委員会理事長 は賄賂起訴されて裁判をしているのでは無かったか。竹田という人はそれで止めたはずだ。日本人の拝金主義がオリンピックという場をとおして、世界に宣伝されている。国家の品格が泣いている。
日本人がこれほどお金に卑しいとは、がっかりしてしまった。清貧を美徳にした日本人はどこに消えたのか。ホリエモンが登場した頃から、拝金主義がまるで正しい行為のように扱われ始めた。犯罪ギリギリの線の金儲けが奨励されている。上手く法律をかいくぐり金儲けした物が勝利者だという考えが、力を持ちはじめた。
残念なことに日本人の倫理観が変化したのだ。金儲けが卑しいことだという倫理観がかつてはあったのだ。昔の話で、そんな倫理観があったと言うことすら、大半の人に忘れられているようだ。最近は金儲けを上手くやったという話が一番興味をひくらしい。ネットにはお金の儲け方が満載である。人を集めるにはこうして、ああして金を儲けたという話が一番のようだ。
たぶん株式投資が政府から奨励されるように成って以来、投資で儲けることに罪悪感がなくなったのではないだろうか。政府は税金に於いても、投資を奨励している。相場師と言えば、昔であればどこか胡散臭い匂いがあったのだが、いまやはまっとうな職業のように思われているのではないだろうか。高利貸しの金色夜叉は明治の話である。
オリンピック汚職はそんなこともありそうだと誰もが感じたと思う。経済効果が一番に強調されたオリンピックだったのだから、オリンピックで金儲けして何が悪いか、と言うことだろう。当然それに便乗して一儲けしたいという人は群がったはずだ。
一体何千億円も賄賂を払って何が儲かるのかが分からない。角川書店ではオリンピックオフィシャルスポンサーになると何千億円も本で利益を上げられると言うことなのだろうか。そんなことはあり得ない。何か見えないことがまだある。
電通の高橋とかいう人は、なんとあの強面の森元総理さえ脅していたというらしい。森氏も後ろめたいことがあったのだろう。闇の中にある電通の情報操作が伴う商売方法をオリンピックに於いても用いてしまい、東京オリンピックの組織委員会の理事が公務である事を忘れたに過ぎない。
自民党の政治家の多くはこのあやうい塀の上の綱渡りをしているような人達だ。ホリエモンも自民党から衆議院に立候補したことがあったのだ。そして落選したら塀の中に落下したのだ。どうも塀の中で少しも更生はしなかったようで、相変わらずである。
今頃になってオリンピック汚職が問題になったのは安倍氏が死んだからだ。違う勢力が金儲けのために敵対勢力を壁の向こうに引きづり落とそうとしているのだ。多くの選挙民がそんなもんだと考えているから、自民党政権がどれほどひどいことをやっていても、金儲けさえさせてくれる方が良いと支持される。
泥棒の集団の中で、リーダーを決めれば、一番泥棒が上手いやつがリーダーになる。社会の大勢が拝金主義になれば、一番金儲けさせてくれそうな人物が選ばれるのが、日本人の行う議会制民主主義だ。金儲け党のしずかな独裁が始まるのだろうか。
私は立憲民主党の立党以来の支持者だった。立憲民主党には大いに期待をした。随分馬鹿にされたわけだが、それでも期待する気持ちは持ち続けてきた。ところが、その立憲民主党の中にも統一教会の集会に出たような人が何人もいた。
これはひどく辛いことだった。まさかのことだった。政治のことを考えることがつくづく嫌やに成った。あきれて物が言えない。当選しなければ始まらないという選挙至上主義なのだろう。何故勝共連合に立憲民主党が繋がるのか。いくら何でももう立憲民主党は解党しなければだめだ。
宗教の名をかたる集団が政治組織に近づいてくるのは、必ず見返りを求めてのことだ。統一教会は今も政治家を応援すると、平然と息巻いている。これは自分たちを抹殺して困るのはあなた方ですよと言っているのだろう。自分たちを見捨てれば、落選させると脅しているのだろう。劣化した民主主義がこの事件の背景にある。
拝金主義社会では拝金主義のオリンピックになる。結局金メダルもお金のメダルにしか見えなくなる。クーベルターンのアマチヤリズムは遠いい昔の話になった。思い出してみれば金沢大学の美術部はアマチヤリズムを主張していた。プロの絵描きには藝術としての絵画を探求できないという考え方だった。
その考えはいまでも引きずっている。生活が藝術の前に来れば、藝術はどこかへ行ってしまう。それは宗教と同じだ。金儲けが先に来るようになれば、大なり小なり、統一教会と変わらない。絵でお金を稼ぐ人が、良い商品絵画を描く人と言うことになる。いつの間にかそれがお金の必要な芸術院会員であり、文化勲章となる。
創価学会だって似たような組織だ。現世利益である。しあわせになりたいから宗教を信仰をする。しあわせはお金がある事だから、コロッと金儲け話の御利益にすがりつく。お金に惑わされるようなしあわせなどない。そのことを教えるのが宗教ではないのか。
のぼたん農園は、お金から離れて進みたい。儲かるとか経営とか、そういう物とは関係のない農業である。これは確かに農業者には嫌われる。しかし、普通の農家が消滅する時代に、農業が生き残るためには、アマチヤリズムしかない。
自分が食べるものを自分の手で作るという原点で進みたい。どこまでも楽しいことをやる。やりたいことをやりたいだけやる。お金になるからやるなどと言うことは一切考えない。農業者には抵抗があるだろうが、この原点に立ち戻りたい。
資本主義の次にあるものを示すためには、お金から離れる必要がある。農業と言えば、経営が問題にされるが、そういうことから一番遠いいところで、「のぼたん農園」はやって行きたい。お金のことは一切考えない農園でありたい。この考え方は一番理解されにくいかも知れないが、ここだけは徹底しないと道を間違うことになるだろう。