「土の記」高村薫

   

 
 多良間島、石垣島にもうすぐ着陸。


 宮古島

 「土の記」を小田原への往復の飛行機で読んだ。以前新聞の書評を読んで田んぼのことが書いてあるというので、買っておいたものだ。後半のイネの播種から苗作り、そして田んぼでの分ゲツの様子。余りに細かく書いてあるので、ついつい気になった。

 稲の生育に関して言えば、作り物の話だ。稲の生育はじっさいからみれば不自然なことだ。何故8月24日が出穂になるのか。そうであれば、もっと遅い田植えにする必要がある。葉齢にしたがって進んで行く物語。油性ペンで葉に数を書いて行くところなど、他人事とは思えなかったので、いかにもやっていたかのような書き方に、間違いがあるとすべてが嘘に見えてしまう。

 しかし、ちょっとその9葉期では分ゲツ数がいくつでと言うような話がどうも細かくなればなるほどおかしい。そもそも苗箱に播く籾数の計算も違っている。何故三回も播種機での播種はまずありえない。しかも2本植えの田植え機での田植え。稲作をしている者には、ここまで細かく書くなら、科学性を尊重しない作者の無神経が気になる。

 こんな風に書かれていると、いかにも作者には正しい稲作の知識があるのかと思ってしまう読者もいるだろう。ここにある知識はネットででも調べて、つなぎ合わせたような、ギクシャクしたものだ。葉齢と分ゲツの関係だって、そうじゃないだろうと言いたくなった。

 そういうことはどうでも良いとも言えるが、土の記を評価している書評を書く人は、いかにも作者が正しい稲作の知識を持っているかのごとく読んでいる。まるで農民作家であるかのような位置づけには驚く。日本農民文学会の初代会長 和田傳氏を読んだこともないのだろう。

 土のことは土を耕して生きるものにしかわからない。作者には土のことが分かっていないにもかかわらず、土の記など大上段の姿勢である。農業者のことも、農村のことも理解が浅くなる。それはそれで仕方がないが、こういう作家が直木賞の選考員なのだそうだ。日本の文学はかなり低いものだと考えざる得ない。

 昨日友人と話していたら、芸術作品から影響を受けたことなどないと断言されていた。絵画はもちろん。文学も音楽からも感動など受けたことがないというのだ。そうかも知れない。別段普通のことで特殊な人ではない。きっとそういう時代なのだろう。

 自分のことで考えてみたら、ドフトエフスキーを読まなかったら、生き方は変わっていたと思う。ボナールを見なかったら、絵描きには成らなかった。モーツァルトを聴かなければ耐えられない時間があった。芸術によって生かされたと私は思っている。

 ところが現代日本では芸術は失われたのかも知れない。価値は商品価値で量られる時代の中で、芸術が社会に対する表現ではなくなり、商品経済の中での存在価値になった。だから、商品としての価値をおとしめるような評論というものは公にはない。

 高村薫氏の空海を読んだことがある。空海真言宗のことを理解できていないと思った。私も理解できていないので読んでみた。理解できていない空海を良く理解できたごとく書いているのが、ちょっとすごいと思った。この程度表面的理解では空海に対して失礼なことだと思う。

 まあ、真言密教というものを理解できていない私が言うのも変だが、絵という意味で曼荼羅がどういう物か一つでも、言葉で表現するのは極めて困難なことだ。表面的理解で良くも言い切れる物だと思う。気になるのはこれは間違った空海だと真言宗から批判は出なかったのだろうか。

 空海が体得したという真言密教が何故日本では途絶えたのだろうか。にもかかわらず、何故弘法大師の奇跡が日本の津々浦々にまで広まっているのか。天皇家という権力と、空海の関係があると私は考えている。天皇家は水土技術をつかさどる権力者。

 空海も大きな溜め池を作っている。私の生まれた、山梨県の山寺にも弘法平というところがあり、湧き水が湧いている。その水を引いてきて生活に使っていた。他分水土技術者としての空海がいたのだろう。天皇の水土技術と稲作。空海との関係。

 この辺りが弘法大師信仰を読み解く要なのではないかと思っている。そもそも中国に行く前の弘法大師は四国お遍路のようなことをした。日本人の信仰の中にある遍路。たぶん遍路は仏教以前の日本に存在した物だろう。その信仰と弘法大師が繋がって行く。

 弘法大師はインドの僧から密教を学んでいる。たぶん中国語をではなく、サンスクリット語なのだろう。忽ちに言語を体得できるような能力が空海にはあったと思われる。そうしたこともあり、多くの中国人の学僧の中から、空海が選ばれて、密教をすべて受け継ぐことになる。

 空海は密教の僧侶でありながら、現世での救済と言うことを目指している。それが溜め池を作り、湧水を発見し、水田農業を広げて行く事に繋がったのではないか。その意味で
は天皇家の技術者として活動したのかも知れない。もう少し空海のことを調べてみたい。
 

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