中国の貧困克服の二面性
3月19日に行ったノニの取り木。50本ほど行った。ノニは薬用植物である。地主の国仲さんがノニによる農業振興を考えられていて、3年間果樹園のノニを提供するので、事業化を考えてくれと言うことになっている。先ずは黒糖でエキスを絞り出すジュースを作り自分の身体で試している。
中国の農村には1992年に最初に行った。その後2007年と2012年にも行った。30年前に行ったときには、戦後の貧しい山梨の山村で育った私でさえ見たこともない、農村の貧困の状況だった。それから20年の間に明らかに見た目にも急激に農村の貧困は改善された。
そして2021年には習近平氏は貧困は解消されたと宣言した。それは客観的事実である。絶対的「貧困」は解消された。この成果は評価すべき事だ。飢餓によって飢え死にするほどの貧困は中国ではほぼ無くなったと言って良い。それは相対的貧困率が先進国では一番深刻な日本でも、絶対的貧困は無い事と同じではあるのだが。
所得格差は日本よりも極端な不思議な共産主義を一応は建前とする国なのだ。国家資本主義国中国には、貧困問題の混沌がある。富裕層に自由が無ければ、新産業の創出は無い。中国では新しい産業が次々に出現し、経済成長が続いている。そして、一方に相対的貧困層は固定化されている。
1978年の改革開放に端を発し た市場経済への移行と一連の経済自由化改革により、中国 は高度経済成長の道を歩み始めた。2010年に国内総生産 が日本を超え、世界第二位の経済規模を誇る国に なった 。その後も高い成長率を続けてきている。近年鈍化はしてきてはいるが、5%程度の成長はしている。日本はほとんど成長はない。
中国で「改革開放」が打ち出された1978年の貧困基準は 100元以下であり、全国労働者平均年収の615元の1/6弱であっ た。その基準で計算された中国の貧困人口は2.5億人にも 上り、世界最多だけでなく、絶対数でも巨大な数字であっ た。 飢餓で死ぬ可能性がある人が、2.5億人もいたのだ。
1978年から2010年までの22年間で中国は 2.5億人の貧困人口の削減を実現し、国際貧困基準の1日・ 1.25ドルで計算した場合は6.6億人の削減になり、世界の貧 困削減事業にも大きく貢献した事は、中国の大きな成果である。飢餓的貧困を克服した唯一の国である事は評価できる。
今後は相対的 な貧困問題を解決しなければならないという新たな段階にはいった。収入を貧困ライン以上にすることだけでは、社会安定問題の解決にはならず、社会保障制度の整備など、経済政策、社会政策、民族政 策等、総合的な改善が中国に とって今後必須である。
貧富 格差・所得格差が広がり,貧困問題をはじめ多くの弊害をもたらしているが,その格差がまだ縮 小の傾向に向かっていない。国家統計局のデータによれば2018 年現在,ジニ係数は0.468 の高いレベルとどまっている。日本は税金などによる所得再配分機能により0.3791 となる。
中国で上位1%の富裕層が持つ富は全体の30.6%で、2000年から10ポイント上がった。上昇幅は日米欧のほかインド、ブラジル、ロシアなど他の新興国も上回った。高度経済成長を続ける中、富裕層はさらなる富を蓄積している。それは世界全体の傾向でもある。
中国で絶対的貧困が克服されたことは確かなことである。飢餓で死亡してしまうような貧困が無くなったと言うことである。しかし、相対的貧困は解消されたわけでは無い。そこで昨年習近平氏によって提唱されていることが、共同富裕という政策になる。
都市部の極端な富裕層の存在がある。農村部では相変わらず都市部とは比較にならない所得である。中国では戸籍制度により、農村から都市への移動が禁止されている。ここに来て労働人口減少が顕著になったこともあり、戸籍制度が廃止されてきている。
常住人口が300万人未満の都市では戸籍取得制限の全面撤廃を確実に実施する。都市部の常住人口都市化率を2025年までに65.0%に引き上げると盛り込まれたことを受けたものだ 。中国は一人っ子政策により、極端な人口の偏りが起きている。
労働人口の増加を行うために、むしろ人口増加政策に変わっている。しかし、人口が増えない状況は日本と変わらない。そのこともあり、農村人口を都市部に移動させる必要が生じている。農業中心の経済から工業中心の経済に変わっている。
中国の貧困政策と言えば、農業改革であった。農業の基盤整備を行い、貧困を無くしてきた。しかし、農業中心の経済では、都市部の高度成長を続ける経済とは比較すれば劣るものである。成長を続けるためには、農村部からの労働力を都市部に移動させる必要が出てきているのだろう。
都市部の豊かさは目を見張るものがある中国であるが、農村部を見れば都市部の豊かさとは見劣りする。しかもその格差は開きつつある。共同富裕政策が今後成功するかどうかが課題なのだろう。中国の貧困対策はあくまで農村改革であった。それは一定は達成されたわけだが、結局の所と支部との経済格差は開くことになった。
中国による貧困対策は世界の貧困対策のモデルになるものである。アフリ
カや、アジアにある絶対的貧困の解決には中国の農業改革は、参考になるものである。中国のアフリカやアジアの貧困解決の支援は実際に農村で成功をしている。
カや、アジアにある絶対的貧困の解決には中国の農業改革は、参考になるものである。中国のアフリカやアジアの貧困解決の支援は実際に農村で成功をしている。
中国農村部での農業改革の経験が生きている。優良品種の導入。灌漑設備の導入。先端農業技術。等を直接出向いて指導している。中国での経験を生かした方法を、現地に則した農業を模索して、飢餓の克服に貢献している。日本では余り報道されないことだが、アフリカでのインフラ整備以上に効果を上げている。
そのやり方は一つの貧困家族を飢餓から救うという所から始める。そして、その地域の人達がその家族の姿を見て、自然に村を挙げて中国の指導する農業改革に取り組むように促す。中国では個人所有の土地というものはない。だから、このムラはキノコ栽培で行くと上層部が決めれば、キノコ村になる。
しかし、アフリカでの支援はそのような方法では進まない。どの地域の農業者も伝統的農業があり、簡単には変えない。実際の成果を見ない限り変える人はいない。日本でもサトウキビの展望が厳しいといっても、何十年もサトウキビ農家としてやってきた人が、農業形態を変えると言うことは極めて難しい。
20年前に自然養鶏がこれからの中国で生かせる方法では無いかと考えたわけだが、中国実際にやってみて貰うことは難しかった。私自身が現地に暮らして実践してみない限り無理だと思えた。当時、現地でそれを実践していた有機農法による桃の栽培を指導していた、日本人農業技術者がいた。
農業の指導と言うことは結局の所実践しなければ始まらない。研究者が口先でいくらこういう農業が可能だと主張してもほとんど無意味である。それならおまえがやればいいだろうと言うだけのことだ。農業に経営コンサルはいらない。