月刊やいまに絵と文章を載せてもらえる。
今度南山舎の「月刊やいま」という雑誌に隔月で絵を載せてもらえることになった。この雑誌はイエローブック八重山という内容のものである。普通のタウン誌というよりは、八重山の文化情報誌と言う感じである。南山舎は出版社としても充実した本を多数出版している。
石垣には文化的な活動が根付いている。文化が生活に根付いていて、石垣の文化を守ろうという意識の方が多数存在する。そして地道な文化活動が長く継続されている。金沢と小田原と比較することが出来るが、石垣の方が地域文化に対する思いがみんなの中に強いと思う。
ここに石垣で描いている絵を掲載させてもらえないか、南山舎にお願いをした。材料をそろえて提案させていただいた。その間にのぼたん農園を始めることになり、ただの石垣の風景を載せていただくよりも、八重山全体の田んぼを中心にした農業の風景を載せていただけないかと考えている。
石垣島で農業の風景は美しい。日本全国農業の場面を描いて歩いてきたが、石垣島ほどの美しい農業が作り出す風景の場所は少ない。石垣島という美しい場所に、織り込まれるような農業がまだ残っている。といっても危うくなっているのは、他の伝統産業と同じであるのだが。
この美しい農業風景を何とか残すことが出来ないか、あれこれ考えてきた。まず、石垣島の人達に石垣島の農業の風景は、どこよりも美しいのだと言うことを知ってもらいたかった。石垣島の田んぼはとても美しいと。ところが、出会う島の人に特別な田んぼだと話してきたが、そう考えている人にあったことがなかった。
他の地域のたんぼとどこが違うのかと、かえって驚かれるのが普通だった。他と同じでは無い。石垣島にしか無い、独特で貴重な田んぼがある。それは田んぼを長年やってきて、全国の田んぼを描いて歩いたから、こそ感じられることなのかもしれない。
そんな田んぼは与那国島にも、西表島にも、小浜島にもある。湧水で作られた田んぼというものは湧水を生かして溜め池がつくられる。そして田んぼは地形に沿って作られて、少ない水が最大限に利用されている。その水の最大限の生かし方が特別な田んぼを作る。3000年前も今も少しも変わらないことだろう。その古い時代の形が残っている。
合理的に田んぼを作ろうとすれば、昔ながらの棚田になる。大規模農業の大型機械利用の都合という、田んぼ側の耕作の都合で大きな土木工事をして、耕地整理をしてしまえば、風景を壊すことになる。実際にこうした耕地整理の工事が石垣島でも進んでいる。
残念なことに、自然に織り込まれたような田園風景は日本全国では惜しまれることすら無く、急速に失われている。かろうじて棚田が観光名所になり、残っているところはあるが、残念なことにそこには生活との繋がりが失われている。都会からのボランティアに支えられた田園風景では空気感がどこか異なる。
農の会で田んぼを作っていると、こうした美しい田んぼが出現する。自分たちの作りやすいようにやれる範囲で田んぼ作りをしていると、何故か美しい風景が出来上がる。この美しい風景には何かがあると絵を描いてきた。そして、農業風景を描き続けてきて、見えてきたのは、農業は風景を作り出すと言うことだった。
最初は耕作放棄地に惹かれた。人間の営みが自然に戻りながら、自然に溶け込んでゆく姿だ。ところがだんだん放棄地を描いている内に、農耕地の中には充分に耕作されて美しい田んぼがあると言うことが分かってきた。それから全国の農地を描くようになった。
田んぼを作ると言うことは自然の条件に人間の側があわせると言うことである。しかも田んぼは何千年も同じ場所で継続できる農業の形なのだ。だから田んぼがあれば人間はその場所で生きて行ける。人間の営みが自然の中に織り込まれると言うことが、どれほど素晴らしいことなのか。
太古のままの自然ではなく、人間の暮らしが自然の中に織り込まれて出来る、その場所の生かされた自然こそが、田園風景である。人間のいる風景。今後も何千年もこのまま暮らして行ける安心立命の景色である。人間が暮らすという原点の景色が田園の風景。
八重山にはまだそんな風景がいくらか残されていた。それで石垣島でこの後は絵を描こうと考えた。そしてのぼたん農園を作りながら、自分も何千年も続く風景を作り出そうと考えた。実はそれは後水尾上皇が江戸初期に作った修学院離宮に習った、常民による自給のための農園である。
巧みな徳川政権による日本統治により、天皇としての権威も権力も奪われ、危機感を持った天皇が文化を持って日本を表し、残そうとしたものが修学院離宮だと考えている。今日本の稲作農業は危機を迎えている。大規模機械化農業になり、まるで工業品のようなお米になりかかっている。
稲作文化により生まれた日本人というものが、完全に失われつつある。日本文化を尊いと考える一人として、何とか本来の田んぼを残したい。自給することで生きて行けるという原点を残したい。食料は工場で作られるものではなく、自分の手で自然と折り合いながら、作るものである。この自給の思想を自覚できる場である。
自給のための田んぼは風景を美しく作り出すものでなければならない。その意味を絵にしているのだと思っている。だから、南山舎に絵を載せていただけるようにお願いした。幸いなことに載せていただけることになった。精一杯やらせて貰いたいと思っている。
心配なことはある。私の絵を見てこんな場所があるのかと探されても少し困る。こんな場所は確かにあるのだが、心眼で見ないとその風景は見えない。石垣旅行から帰り、心の中に残っている風景と私の絵は近いはずだ。私の描いた海の方が、写真でとった石垣の海よりも、きっと石垣の記憶の海に近いはずだ。
西表の半分自然に飲み込まれた耕作地の姿、小浜島の祈りの場に連なるような田んぼ。石垣の牧草地の光の満ちあふれる緑。与那国の湧水で作られる天水田んぼの貴重な姿。そこには人間の営みが見える美しさがある。行ってみてその姿を見るためには心眼が必要になるが。
そうした風景をその美しさを知ったものは、そこは指さすだけで良い。ここが美し場所だと指させば十分である。そこにある美しさの本質は、海を描くだけでも伝わるのが絵である。空を描くだけでも良い。そこにある1本の木を描くのでも良い。
そこにある人間の暮らしを反映した何かが伝わるものを描きたい。のぼたん農園を作りながらそういう思いを強くしている。多くの方との出会いで、のぼたん農園を作らせて貰っている。自分が始めたことではあるが、このように進むことは何かに従っているような気持ちがしている。