ゴーツートラベル中止だけでは感染は減らない
ゴーツートラベル4回経験者として、書かせて貰う。戻って1週間が経過したが、感染していない。旅行を経済対策にしているこの政策は今やコロナ感染源として、批判にさらされた。4回も利用した私は肩身が狭い。
一時中止になった。このまま中止になるのかもしれない。しかし、ゴーツートラベルを止めたからと言って感染拡大は止まらないだろう。一貫性のない政策変更である。旅行自体が問題なのでは無く、密なる飲食の問題が原因の中心にある。
旅行そのもののはそれほど感染リスクは無い。スーパーコンピューターを使わないでもそのくらいのことは分かる。政府もそうは言いながらの中止である。こう言うときこそ冷静な科学的な思考が必要である。止まらない感染拡大に、何かやらないでは居られないだけだ。研究者にお願いして何が原因か、科学的に考えるべきだ。
人間が移動すると感染が増えると感染症分科会の意見があるが、当然ながら移動の仕方が問題になる。家族だけの車旅行なら、感染リスクはほぼない。飛行機も感染リスクはかなり低い。飛行機で感染した事例が無いわけではないが、マスクなしの頃の話だ。電車やバスは混み方次第である。この点で言えば旅行よりも通勤の方がはるかに感染リスクが高い。
たしかに乗り物は混んでいる時間は乗らない方が良い。小田原に行くときの電車はだいたい二時頃を狙っている。飛行機もこの間6回乗ったが、かなり空いた形で運行されている。隣の席に人がいたことは無い。空いた時間を選んで乗った方が良いだろう。みんなマスクをして、静かにしている。
石垣島は例年どおり観光客が訪れている。12月10日、14:30分羽田からANAの同じ飛行機に乗った人のほとんどが若い人だった。ここには注目すべきだ。石垣島では2週間以上感染が起きていない。レンタカー利用して、野外観光が多いからだと思う。
問題は食事である。ホテルの食事はかなり気をつけているだろうから、心配は少ない。夜の歓楽街も気をつけるようになったのかもしれない。若い人は余り夜の歓楽街には行かないのだろう。野外観光が中心だろう。
酒を飲むと自制心がなくなる。一杯が二杯は当たり前である。コロナがどうした、とたちまちに豹変するのが酔っ払いである。おっさんグループは羽目を外しがちだ。若者はそういうことは少ない。
混んでいるスーパーはリスクが高いから、夜の空いている時間に行く。購入リストを見ながら手早く購入する。長居は無用だ。こうして旅行をしていれば、別段旅行が感染を増やすなどと言うことは少ないはずだ。うるさく繰返しになるが、密な飲食の場面が危険である。
どうしても移動中に食べなければならないほど時間がかかる移動は無いはずだ。飛行場の安全なところで食べる。成田では移動通路の野外のベンチで食べたことがある。羽田であれば、人のいない一角がある。飛行機の予定が無いゲート付近なのだろう。そこで素早く食べたこともある。マスクをしたまま30分掛けて室内で食べるより、マスクを外して野外5分なら寒さも大丈夫。
人に会うとしてもできる限り野外である。あるいは安全と思われる特定の人に限る。若者は自覚症状が無いから危険である。そこまですれば旅行をしたところで感染はない。私が泊まったホテルは4カ所あるが、どこのホテルもとても気をつけていて、感染者を出さないように真剣であった。気をつければ、感染しないのがウイルスである。知らないうちの偶然など無いのだ。
今感染が減らないのは、若い人達が、この病気は大丈夫と言うことで注意しなくなったためが、第一原因に間違いない。若者が感染するのはかまわないし、さしたることが無いのだから自粛もしないのも当然のことである。
が、絶対に年寄に感染させないで欲しい。特に家に戻り家族の年寄に感染させる家族内感染事例が極端に増加している。悪気は無いのだろうが、不注意すぎる。年寄は死んでしまう人が多々あるのだ。もし若者同士で飲み会などやるのなら、やればいい。しかし、その後2週間は家族といえども老人に会うのは避けて貰いたい。
コロナ対策ではスエーデン方式というものがある。コロナを気にしないというものだ。以前のままの日常を大切にして、緩やかな制限に徹していた。マスクなどしている人もいない。そうしたら、死者の90%が70才以上の年寄である。年寄の場合、特別な医療をしないで見守るだけだったと遺族が告発している。
スウェーデンの人口10万人あたりの死亡者数は、世界で最高を記録した時期もある。死亡者数が増えてしまった理由は年寄に対しても感染対策をしなかった上に、特別な医療行為もなしである。スエェーデンは活動制限をしてこなかったが、11月半ばになって、死者数がさらに増加してきて、やっと11月24日から活動制限を高めている。結局患者が増えれば、経済活動に影響してくるのだ。
スエーデンのコロナ対策の考え方の背景にあるものは、活動の中心である若い人達を尊重したと言うことであろう。経済においてもその方が有利と言うことがある。言い過ぎかもしれないが、老人や疾患がある人が死んで行くことも経済的な合理性があると考えているのかもしれない。事実なら恐ろしい考え方だ。
弱者や老人がいなくなれば、若者の負担が減る。コロナの蔓延を弱者淘汰に利用しているとも結果的には言える。これは許されない考え方なのだろう。しかし、こんな奇妙なウイルスの流行は老人の多すぎる社会の自然淘汰という是正作用なのかもしれない。このやり方をスエーデン国民の80%が支持したという。しかし、遅ればせながら、活動制限を強めたと言うことは、スエーデン方式は失敗したと言うことだろう。
日本でもコロナ対策などするべきでないという人がいる。スエーデン方式を支持すると言うことなのだろうか。老人や弱者など減った方が自分には好都合という考えなのだろうか。少なくとも結果的にはそういうことを主張していることになるのを自覚すべきだ。
菅政権がコロナ対策を失敗したのではない。若者がこれ以上自粛など続けられないと言う、人間というものの当たり前の帰結だ。人間なのだから仕方がないことだ。自粛と言うことは大多数の人がやらなければ、効果が薄い。企業だって自粛を続けて倒産するより、無理矢理営業をするだろう。これ以上の制限は法的な活動制限しか無い。
自分に関係ないことで、人間の活動制限は限界がある。旅行だって行きたい人はいるだろう。若い人が半値で人の少ない旅行が出来る良い機会だと考えるのは当たり前のことだ。むしろ、そういう若者たちが年寄には会わない仕組みを考える必要がある。
年寄の方も、若者はコロナの危険が高いと考えて、濃厚接触を避けることだ。何しろ不要不急の年寄と言われようとも、死ぬのは勝手だとは言えない医療環境なのだ。重症化して医療崩壊を招く。スエーデンのように見守りだけというほど日本は老人を粗末にはしていない。有り難いやら、迷惑なのか。人それぞれと言うことになる。