第6回 水彩画 日曜展示

   

 第6回 油彩画 日曜展示





 16, 油彩画 「崖の眺め:能登」
 F20号
 1973年8月







 17,油彩画 「沈思」
 F15号
 制作1974年 2月






 18,油彩画 「リンゴのある静物」
 1979年
 f20


 今回は最後に残っていた、古い油彩画を展示する。学生時代の物、2点とその後パリから戻って、描いた静物である。ここで記録しておかないと、失われそうだ。一番興味深いことは今に繋がっていると言うことだ。絵を描くと言うことはそう大きくは変わるものではない。

 むしろこの後描いていた絵の方が変わているのかもしれない。そして戻ったと言うことかもしれない。この辺は自分ではまるで分からない。自分が見ているものを絵らしきものにしようと言うことが変わらない。

 すこしこの機会に、昔のことを思い出して描いておく。油彩画を始めたのは中学1年生の時だ。世田谷中学に入り、すぐに美術部に入部した。絵を描くのが好きだったからだ。小学校の時は水彩画だけだった。小学校の時に世田谷学園で絵のコンクールがあり、出品した。銀賞だか貰った。それもあって中学に行ったらば、すぐに美術部に入ろうと考えていた。

 中学では油彩画を始めようと決めていた。渋谷の道玄坂の上の方にあった、地球堂と言う名前の画材屋さんで、かなり高めのセットを購入した。親が中学に合格をしたらばと言う約束でそれを油彩画セットをくれたのだ。そういえばそのすぐ上に、世界堂という大きな鞄屋さんがあった。

 念願の油彩画のセットだった。確か8号の張りキャンも買ったのだ。同時に美術部に入部した畠山君と、井沢君と買いに行ったのだ。その頃の美術部の顧問が稲田先生で、すばらしい人だった。熱心な生徒が多くいて、毎年芸大に入る先輩がいた。そう、世田谷学園では中学も高校も一緒にクラブ活動をしていた。今は芸大に行くような生徒はいるのだろうか。

 中学や高校で描いた絵は一枚も残っていない。たぶん、小田原の家には残っていたのだが、先日捨てたのかもしれない。探したがもう分からなかった。ラツゥールの大工のヨセフの模写をしたものがあった。それと、シクラメンを描いた木炭デッサンもあったのだが。そうだスケッチブックがもしかしたらありそうだ。

 学校の中にお堂があり、そのお堂を描いた記憶がある。お寺がある学校というのもいいものだと思いながら描いた記憶がある。たぶん学校が好きだったのだ。学校には大きな木が沢山あった。一本の銀杏だと思うのだが、その上にはリスが住んでいた。日曜日に学校に行くと時に見ることが出来た。

 絵ばかり描いていたのは、高校1年までである。それから頭がぐるぐるしているような状態で、陸上部に入って走ることばかりだった。それでも、美術部の学園祭の展覧会には畠山さんから誘われるので、絵だけは出していた記憶がある。そうだ演劇部の小道具係で絵は描いていた。

 油彩画を始めた頃の現物はなくなった。大学に行って絵を再開した。やはり美術部に入ったからだ。大学では絵を描くと言うことははっきり決めていた。大学の美術部時代の2点と、フランスから帰ってから描いた油彩画が1点だけあった。そうだ、リンゴのある静物を描いたのはもう油性を辞めてからだ。油彩画はフランスから帰って辞めて、アクリル画に変わった。

 
 顔料を工夫する工芸的な作品が多い。今度展示したいと思う。以前金沢大学の美術部の友人が、フランスから帰って開いた個展を見てくれて、そんなに変わっていないと言ったのを思い出した。今描いている絵とも変わっていないのかどうか。


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