私的:水彩画の描き方
4月10日に描き始めた絵。この後もう1日描いてほぼ完成した。この絵は後戻りせずに、終わりまで進んだ。だから明るい絵になった。明るさは水彩画の特徴の一つだ。このところの絵は詰めすぎて描いたかと思う。
絵は見ている世界を、紙の上に置き換えているのだと思う。置き換え方がその人の世界の見方であり、絵と言うことになる。だから人がやっていた置き換え方を踏襲した方法をとると言うことはありえない。自分が観ていると言うことに気付けば、他の人とは違うように見えている。観るというのはちがっていることだ。
水彩画は技法が重要である。又多様な技法が存在するところが良い。実に幅広い表現方法があり得る。絵を見る人はその人らしい置き換え方をみて、なるほどこんな置き換え方をする人なのかと思ううわけだ。表現方法で、描いた人の考え方まで分かる。人間性まで分かり感動する。
4月12日に描き終えた絵。
絵を描くと言うことはかつてないような置き換え方を見つけると言うことにある。新しい発見を出来ないかと描いている。自分が観たという感じが画面にそのままに出て欲しいと思うだけだ。こうすればどうなるのだろう。ここの表現は何かあるはずだ。こう思って描いていると終わることがない。やればやるほど面白くなる。だから絵が終わると言うことはなくて、休止符を打ったうよなものだ。
それでは自分の置き換え方を持つのかというとそれも違う。置き換え方はその絵その絵で発見しなければならない。いつもの置き換え方を使うというような発想になることはそれは職人になったと言うことで、芸術ではなくなったと考えている。自分の絵を模写しているようなものでは、絵を描くということからはほど遠い。だから前にやった方法をいつも忘れなければならない。
一枚の絵を描くと言うことは一つの発見があると言うことだ。新しい風景の見方を見いだしたときに一枚の繪が出来る。新しい見方であるから、新しい方法が必要となる。だから一枚の繪ができると言うことは新発見をしたと言うことになる。そう簡単なことではないのは当然のことだ。
この絵は13日14日と描いた絵だ。かなり柔らかめに描けた。おかしな所も多々あるが、柔らかさと詰め方が気に入っているので、ここで終わりにした。問題が残っているのだが、それがいい場合もある。
私自身のことで言えば、細部を追わないで、どうやって筆触やタッチで風景を捉えることが出来るかである。ああこの点を打てば出来るのかと発見することもある。この線を引けばいいのかと言うこともある。この辺が絵を描いている面白さである。
こうして一枚一枚の絵で、新しい方法を発見している。だから、絵を描くことはきりがなく面白いのだと思う。子供の頃早く海に行きたくてうずうずした感じを今も思い出す。あの感じとまるで同じくらいに、いつも絵を描きに行きたい。
4月14日に描き始めた絵。午前中だけ描いたところだ。続けてもう少し描くつもりだ。田んぼの所の描き方は下塗りのつもりである。ここはかなり書き込もうと言うつもりで、絵の具を重ねている。水彩画では10回以上も重ね塗りをして出てくる調子というものもある。
始めて塗ることでしか出ない色もあれば、同じ色を濃度を変えながら重ねて行くことで出てくる色もある。上の方から描いている。中央から描くことが多いのだが、この絵は上の方から描いている。
下の方はまるで描いてない状態である。上を描いているときから、下の方に木が来るとは考えている。まだ描いていない木が見えている。
下の方に木を加えて絵を進めた。この紙はファブリアーノの手漉きの紙で、10枚だけ購入した貴重な紙だ。色に潤いを感じる。紙は時間が経つと良くなる。最初は実に手強い紙だったのだが、今は色に潤いが来る。
田んぼが9葉期ぐらいになったのだろうか。随分と分ゲツも増えた。このイネの初々しい成長期を描きたい。それでも水が一部見えている。水は俯瞰なら見えると言うぐらいである。
一面の緑の田んぼもやはり光を反射している。緑が反射している緑なのだ。これをどう描けるのか、あれこれ試行錯誤している。何度も色を重ねて書いている。重ねながら暗くならないことようにしている。ここが難しい。
4月22日に描いた絵。緑に変わって行く田んぼを描いている。もう少し描くつもりだ。絵として見栄えがするというような意識を捨てようと考えて描いている。自分の目の観ている世界を描けるようにと願っている。
この絵は24日、25日とさらに描いた。それでもできないでいる。左上の山がいらない。消してみようと考えている。水面でいい。水平線を斜めにしたくなった。それが山にまで影響をしている。
それで最初はなかった山で左側を切ったのだが、それがやはりまずかった。斜めのままの水平線だと絵としてはおかしいのだが、おかしくても良かったのだ。ついおかしくないえにしようとするのがいけない。おかしいことはおもしろいことだ。下手なことは自分の絵に近づくことだ。
もう少し描いたならば、又絵の写真を載せたい。
もう一息である。水平線をまっすぐに斜めに切ってみた。おかしなことだが、このことで絵は分かりやすくなった。この写真を撮った後もう少し描いた。