2019水彩人展作品評1

   

 

 水彩人展が始まった。作品が並んで展覧会は私には必要なものだと改めて思った。自分が今何をしているのかが見える。絵は一人で描いて居るから、おかしなところに進んでいる可能性がある。一年に一度、方角を確認するという意味で、水彩人展は私には重要な場面である。

 全体で言えば、水彩人が水彩人らしくなった展覧会のようだ。それは私が思うところの水彩人と言うことではあるが。世間一般の人の眼から見れば、下手な絵の並んだ展覧会に見えるのかもしれない。いわゆる上手な絵は少ない。巧みな上手な絵を目指している会ではないということがはっきりしてきた。完成していないような私の絵もある。水彩画の研究会であるということを基本とする絵の会である。

 水彩人は研究会という形を残しながら、公募を始めた。公募は東京都美術館で展覧会を開催するための手段であった。公募展にするべきではないという意見もかなりあった。しかし、銀座の会場がなくなって、結局のところ、東京都美術館の当時の規約に従わざる得なかったといえる。

 水彩人展という公募団体に出品し、評価されたからと言って、世間的な肩書のような恩恵はない。絵描きになれるわけでは当然ない。それ故に20回も続けてきた結果、水彩人が好きな人が残ったということなのだろう。水彩画が好きな人という意味はアクリル画が嫌いな人ということに近いことなのだろう。アクリル画を拒否する公募展という意味では、唯一の水彩画団体である。

 水彩人は小さい会ではあるが、初入選という人が毎年かなりいる。今年は15人である。二つの要因があるのではないか。一つは水彩人に出してみたけれど、何か合わない。あるいはメリットを感じないので次の出品をしない。もう一つは、自分の絵を研究してゆく意味では良い場ではないか。と参加してくる人がいるということである。

 こうして、水彩画らしい絵がならなんだ。同人26人の絵もそれぞれに水彩画の探求をしている。26人も一人一人見ると、よくなったと思える人もいる、停滞している人もいる。どうも力を失っている人もいる。良くなっている人には声をかけやすいが、よくない人にはあまり意見が言えない。言わなければいけないと思いながら、言えない。迷いながらも、たいていはむりをして言ってしまい後でつらい。

 今年は過去最高の5人の同人が生まれた。すごいことである。新しい同人もまたそれぞれである。こうして仲間が増えてついに30人を超えた水彩人の同人である。10人でやっていたものが、3倍にもなった。

 会員は4名増えた。会員4名も実に新鮮な絵である。今年は初出品で会員になった人さえいる。素晴らしい絵である。初出品の人は15名いる。改めて、個別に作品批評をしてみたいと思っている。まずは、今回の特出している大原さんの絵から。

 大原裕行さんは巨大な絵が出している。500号とか言っていた。大きさがすごいということがまずある。こんな大作が水彩で描けるということを見せている。会としての盛り上がりに大いに貢献している。ただ、大きいだけならば私にも描けるが、大きさに意味のある水彩作品という意味で、大原さんの作品は世界の水彩画史に残るものかもしれない。高いレベルでこのサイズ作品は水彩画ではなかったと思う。

 下の方に横たわる人は死をテーマにしている。まず、威厳がある。鎮魂の静寂がある。悲しみがこの絵を支配している。中央下部の黒々とした死の思いが、空へと上部へ渦巻いてゆく作品である。
 中央では回転木馬が回っている。木馬の表情が無機質で、死の国への道しるべのようである。そして、上部には巨大なジェットコースターが天の国に向かって、渦を巻いている。銀河鉄道の夜ということだろう。
 つまり、死は回転しているということになる。死は回り渦巻いても、同じ場所に戻る。願いである。輪廻の願いが象徴される。死を受け入れられない気持ちが、こうした戻りくる遊具につながっているのだろう。

 大原さんは完成した作品を出すという考えである。それは展覧会として当たり前のことではあるが、わからない要素に無理に結論が出されている感がいくらかある。死と向かい合う意味での天国の意味は大原さんにとってどういうものなのだろうか。死というものの恐怖と悲しみはあるが、死の思いは天国で浄化される。ということなのだろうか。もしそうであれば、ジェットコースターの渦は意味が明確ではないことにならないか。死を受け入れがたいといっているのだろう。

 もちろんロココ絵画のように、死者を天から天使が妙なる調べを奏でながら、舞い降りて、死を迎えるというような優美な過渡ではない。死というもののへの諦念。そこから生まれる生の思想。あるいは詩。そういう次への思いが、作者によって示され用としているのが輪廻。
 何か不足を感じるのは、上部の作者の持ち味である茶系の色彩にあるのではないか。上部のジェットコースターに輪廻の思想があらわされるとすれば、あるいは天国への道が払わされるとすれば、色が少し違うような気がする。
 
 大原さんの絵の隣には松波さんの絵と、私の絵がある。何故か、創立した人間の絵が、3人並んでいる。どういうことだろうか。今までにない展示である。世間的にこの並べ方を権威的なものと受け取られかねないかと心配になる。しかし、私には3人の違いが確認できてありがたい展示だった。並べて学ぶところが大である。

 大原さんの技術と私の描法をよく比較しながら見ることができる。技術をどこまでどう殺すかということだろうと思う。私の絵は実に煮え切らない。煮え切らないにもかかわらず、決めつけている。いいわけではないが、どうしても研究中ということになる。わからないことは分からないまま出してもよい。そう考えている。
 自己批評は改めて書くことにする。

 

 


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