松下政経塾と丸山穂高氏

   

 「松下政経塾のリアル」という文章があった。リアルでは無かったので、書いておく必要がある。松下政経塾とは、田んぼの指導でかかわったことがあるので、私なりにその実態を感じている。丸山穂高氏のような無頼漢国会議員を生み出した、一因は松下政経塾にもある気がする。松下政経塾の感触に違和感を感じた。
 
 なぜブログスに松下政経塾をほめたたえるような記事がこのタイミングで出たのか。一日入塾体験をしてブログスの人間が書いた記事らしい。騙されたというより、意図があるのだろう。松下政経塾から頼まれて書かれた文章のように思える。この一泊体験の経費はブログスが出したのであろうか。ブログスというものの中立性が疑われる記事なので問題にしたい。
 
 松下政経塾は茅ケ崎にある。小田原にあった松下政経塾の田んぼに関わった。3年間それなりの距離でかかわった。多くの人と、又多くの組織と田んぼをやってきた。その中で最も理解しがたい人たちの田んぼであった。草取りはお金を払って外注すればいいから、誰かに頼めないかと言われた田んぼであった。
 
 松下政経塾は政治を志す人間の、松下幸之助流の人間形成の塾なのだろうと考えていた。私は利他主義的企業者という事で、松下幸之助氏は評価している。ところが、この塾の人間形成は松下流とは大分違う。普通の企業経営者感覚である。自分がやれないことは人にお金を払い依頼して当然という考えであった。田んぼをやる人がお金で人を雇うという考えでは、体験の為の田んぼやる意味が無い。
 
 学びの田んぼをやるということは、人間が生きるということを知るためである。田んぼには座学では学べない、大切なことが山ほどある。だからこそ学校教育に取り入れるべきと考えている。
 
1、食べ物を作るという人間の原点を知る。
2、作業を通して、身体的な意味を知る。
3、人間の共同作業を知る。
4、自然と人間のかかわりを知る。
5、観察力の意味を知る。
 
 一年一カ所を増やすと、決めていたので、少なくとも、25のグループと田んぼをやった。生協の主催する田んぼにもかかわった。学校の田んぼにもかかわった。青年会議所の田んぼにも関わった。創世水という怪しい水の田んぼにすら関わった。農の会の田んぼにはすべてかかわった。それぞれの特徴はあったが、どこの田んぼとも意見調整をしながら協力をした。
 
 松下政経塾はこちらの意見は全く無視する田んぼだった。観光農園のいちご摘み食べ放題と同じ感覚である。金を払い準備はしてもらい、おいしいところだけやろうという田んぼ。農協主催の田んぼ体験事業に参加したようなつもりだったようだ。わざわざ塾が取り組むようなことであろうか。
 
 ある地方の農協の田植え体験の田んぼで、募集で人が集まりすぎた。一度植えた田んぼを代掻きしてもう一度、そこで田植え体験をしてもらったというのだ。福井の方であった話である。それで儲かったと喜んでいた。
 
 こうした田んぼ体験事業は本当の体験になっていない。田んぼを誤解させるだけだと考えている。つまり企業が企画する商売事業と考えるほかない。どうしても一回しかできないのであれば、体験という名前にふさわしいものをやることだ。夏の草取り体験をしたらいい。政経塾では100キロ歩きをやるらしいが、一人1反の草取りをやる。喜んでくれる農家はいくらでもある。こういう嫌みも言ったが無駄であった。
 
 田んぼは種をまくところからやらなければ、だめだ。小学校などの学校田でも、苗は農協から購入するというものになっている。植物は種をまくと芽生え、田んぼで育ちお米を実らせる。それを食べるという、一貫したものが体験になる。一部だけをかじることは、誤解を持つことになる。
 
 幼稚園でサツマイモほりの体験をした人が、さつまいもというものは畑の表面に転がっているものだと、大人になるまで思っていたという話を聞いたことがある。
 
 松下政経塾には丸山穂高議員のような人間の、悪い側面を増長させる何かを感じる。政治家の要領を覚える塾になりかねない。維新の会は除名処分したと言うが、この悪質さを気づかなかった。あるいは気づいて居ながら認めていた維新の会である。少人数の会だ。知らなかったとは言わせない。ここまでひどい人間を、仲間にしていた政党は問題とされるべきだ。
 

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