「なつぞら」のモデルと神田日勝
NHK連続テレビ小説「なつぞら」は北海道の話で始まった。弥一郎さんという森の彫刻家は砂澤ビッキさんではないか。そして絵を描いている青年は神田日勝さんではないか。新宿中村屋で修業した、和菓子屋さんは六花亭さんではないか。そして主人公なつさんの家族は、四葉牛乳さんの家族ではないかと、一人想像している。十勝には水彩人の仲間が何人もいる。神田日勝美術館で水彩人展を2度も開催させてもらった縁が深い。特に神田日勝記念美術館の館長だった菅さんという方は面白い人だった。菅さんは亡くなられる直前まで、水彩人のことを考えてくれていた。菅さんは神田日勝さんを中央画壇で知ってもらうために、東京で行われている公募団体の展覧会を神田日勝美術館で開催していたのだと思う。まず、絵描きたちが神田日勝を認識して欲しいと考えていたのだと思う。神田日勝の名を広めるために、一生懸命だった。僧侶だと伺ったが、命との向き合い方が立派な方だった。鹿追町には神田日勝にほれ込んだ人が、たくさんいた。神田日勝の絵がどのように評価されるかは、これからの時間と絵が決めることだろう。
新得にはフランスにいたころから親しくしていた、友人もいる。新得には、農の会とも縁のあるチーズの共同学舎がある。岩越さんは新潟の小地谷の共同学舎の古民家の保存のことで動いていて、有機の里ので上映会など行った。そういう様々な縁があり、5回ほど新得に行ったことがある。絵もあのあたりで結構描いている。そうだ、少し離れているが須田克太の立派な美術館もある。その十勝地方が朝の連続ドラマの舞台になった。親しみのある場所で、嬉しくなる。本当はここに山平さん家族も登場させると面白くなるのだが、なぜ目が向かないのか残念である。山平さんは日本の農協の今の仕組みの基礎を作り上げた人だ。農協のことだから、賛否のある人ではある。農業生産者が農産物を製品化して、消費者に直接販売するという世界でもまれにみる仕組みを作り上げた人だ。農産物の流通を大手企業の独占から、農業者の手に独立させた功績者である。四葉乳業も良いが、もう一つ視野を広げるべきだ。まあ、牧場の少女の方が、絵になるか。いや絵にはなってないな。
北海道では泉の絵を描いた。北海道は新しい水が沸き出でている場所のイメージがある。北海道という土地が「新しい水」という気がした。人間が初めて目にする水が、湧いているような印象がある。山梨の水は循環する水だ。先祖から繰り返し大切に使ってきた水。十勝地方の水は地球のどこかから始めて地表に現れたような、硬質な水である。水としてはただ湧いてくる水なのだが、一度も人の手に触れたことのないような水の鮮烈な印象がある。この感じを描いていた。生まれ故郷の山梨の水を循環する水と書いたが、そういう意味では石垣の水は太古の水である。年代物のクウスのような水だ。山で熟成されてわいてきたような、思いの深い水のように私には見える。見えるというのは、島での水の苦労という事も見ているからなのだろう。絵を描くというのは、こういう違いを描かないとならない。肉眼ではあり得ないことなのだが、絵の面白いことは私がそう見ている以上、画面にはそういう事が出てくる。
そしていよいよ、なつさんが東京に出てくる。そして、中村屋がひとつの拠点になるらしい。中村屋は芸術家を育てた場所だ。相馬黒光さんと彫刻家碌山と深い因縁がある。その縁で彫刻家の叔父の笹村草家人も世話になった。さらに、なつさんは東映動画に入社するのだから、日本のアニメを世界に広めた東映動画の先輩たち、後に虫プロを作る手塚治虫、Aプロを立ち上げた、宮崎駿、高畑勲、そして結婚相手となる小和田洋一なども登場するはずだ。その後、なつさんは銅版画の世界に入り込む。日本の版画と、アニメーションは伝統的なかかわりがある。絵巻物から浮世絵がアニメーションの原点である。そして銅版画のアニメーション注文の多いい料理店に到達する。未だその価値は未来に続いていると思う。なつさんは芸術としてのアニメーションという事を考え続けた人らしい。その最初の場所に、神田日勝を持ってきたのは意味あることだ。神田日勝は若く死んでしまうが、芸術を探求した作家であることは確かだ。未完で終わった人だと私は見ている。未完だから余計に挑戦した姿が浮かび上がる。余分なことかもわからないが、ナレーションのウッチャンのわざとらしさがとても良い。できれば、なつさんの姉の広瀬アリスさんを出してもらえないものだろうか。