マイクロプラステック問題

   

地球環境問題ではマイクロプラステックが最も深刻である。温暖化も深刻であるが、さらに問題解決の困難な問題になるだろう。プラステック製品は燃やしてしまわない限り、微細なプラステテックが海洋に漂う事になる。自然循環に乗らない物質を作り出すという事が問題なのだ。この先マイクロプラステックの量は年々倍増してゆくのではないかと言われている。すでに多くの海洋生物がプラステックを誤飲した影響で死んでしまうものが、多数観察されている。マイクロプラステックの場合、植物プランクトンに取り込まれる。そして、それを餌をする海洋生物。それを食べる魚、海鳥とどんどん食の連鎖が繰り返され、生体内の濃縮が進んでゆく。将来土壌に存在する、マイクロプラステックも作物の根から取り込まれることになる。結局のところ、人間も食糧として徐々にマイクロプラステックを食べているようだ。もちろん食べたからと言って体内に取り込まれるよりも、排出されてしまうものがほとんどである。しかし、1年に5個から20個ぐらいな人間でも体内に取り込んでいいるのではないかと言われている。その数は、自然界の濃度が倍増してゆくとすれば、取り込み量も倍増してゆく可能性が高い。どこかで限界を超えて、人間の健康問題になるはずである。

実験的にはマイクロプラステックが細胞膜を突き破り細胞内にまで、取り込まれてゆくことが分かっている。こうしたマイクロプラステックはそのものの害というより、プラステックに加えられている、様々な添加剤が同時に取り込まれることの方が、直接の生物への影響が高いだろうと考える。マイクロプラステックを取り込んだ細胞が、変異を起こしたり、がん化したり、免疫力の低下を起こしたりする可能性がある。これはあくまで現段階の推測であるが、人体で証明されたときには取り返しがつかない事態ということである。解決不能な問題ではない。私の子供のころは自然循環に収まるものだけだったのだ。プラステックを止めればいいだけのことだ。当面、止められないというのであれば、燃やす以外にない。燃やすとダイオキシンが出るという事が言われて、燃やすことが制限されたため、マイクロプラステックが増加したのではないかと推測できる。

いずれにしても、年々海洋のマイクロプラステックの量は倍増していっている。例えば化学繊維の衣類は選択するたびにマイクロプラステックが水と一緒に流れ出てゆく。人間がプラステックを使用する以上、止めなく増え続ける。つまり、どれほど小さくなるとしても消えない以上、地球環境に蓄積されるばかりなのだ。解決策は唯一プラステック製品を使わないほかない。どうしても使わざる得ないとすれば、燃やしてしまうほかない。燃やしてダイオキシンが出るというような問題は、解決できないほど深刻なことではない。プラステックのリサイクルなどと言ってもほとんど焼け石に水である。結局リサイクルされたプラステックも、燃やさない以上、プラステックは巡り巡り、マイクロプラステックになる。こうしたときに、スーパーの袋を有料化するとか、プラステックのストローをやめるなどという事は、全く気分的なごまかしにすぎない。地中に埋まる塩ビ管は将来どうなるのだろうか。公園のプラステックの遊具はどうなるのだろうか。化学繊維の医療はどうなるのだろうか。プラステック塗料は、ありとあらゆる場面で使われているプラステックをどうしたらいいのか。

当面、プラステックは燃やす以外にない。燃やすことが有害であるとすれば、もう作らないほか道はない。スーパー袋などどうでもいい、本質を見誤ることになる。そんなことではまるで解決できない深刻なことなのだ。スーパーで買い物をしない、すべて自給で暮らすというのであれば、一応の解決の方向であろうが、そんなことは現実的ではない。リサイクルに回しているから大丈夫だという考えもあるが、これは相当に危うい考えだ。プラステックは小さくなるから大丈夫だなどという、とんでもないコメントがあった。小さくなるから手に負えなくなるのだ。大きいままならまだ処理方法がある。だから、今あるプラステック類は出来る限り燃やすべきだ。こういうことを言って、レジ袋を減らそうなどという気分的環境派の人から批判を浴びた。それならレジ袋環境派の人はどういう筋道でマイクロプラステックが減るとかんがえるのか、具体的に示してもらいたい。10年前から古い塩を買ってある。年間1キロ使うとしてもまだ10年は大丈夫だ。すでに自衛の段階に入っている。

 

 - 環境関連