石垣島、絵を描く暮らし

   

石垣島にきて名蔵湾を描いた。描き始める前は少し怖い気がした。石垣暮らしになって何をどう描くのかわからない自分がいた。期待もあるし、不安もある。いつものように名蔵湾を描いた。前に描いたことがある気がしなかった。初めて見る場所のような気になる。この場所が相当に複雑な場所のせいではないだろうか。もう30枚ぐらいは描いて居るのに、見ないで描くということは全く不可能な気分になる。描き始めてみてそうだった、前もこの感じを描いたなと思い出すぐらいだ。描く場所を少し変えてみた。前回は一段上から描いた。その前は畑の中に入って描かせてもらった。畑が何もなかったからということもある。そして今回は道から描いた。道にも良い場所があるのだが、車を止めておくのに不都合な場所なのだ。昔は描いて居ると観光客がたまには来てどかなければならなかった。ところがこの場所はなぜか人が来ない場所になった。草が道路を覆い始めたし、孔雀が描いて居る場所まで平気で来るようなった。石垣にきてからの時間を思う。

それにしても人が来ないのはありがたい。落ち着いて描いて居られる。石垣一の場所なのになぜ人が来ないのかはわからない。カピラ湾が良いというので観光客は行くらしいが、カピラ湾は絵を描いて面白いとは今のところ思わない。一度行っただけ。ただの美しい自然を描きたいとは思わない。3日いて誰とも会わなかった。下の方でサトウキビの始末をしながら、トラックターで耕す人がいただけだ。その畑がどんどん色が変わってピンクになった。これがなんとも美しかった。石垣の土の色は実によい。下の方の田んぼは今なにもない。区画だけが見える。この耕作の区画というものが、空間にずいぶん影響を与えている。人の自然に対する刻印のようだ。風景を作り出す。ここに惹かれる。なぜ、絶景のカピラ湾ではなく、人の暮らしのある名蔵湾を描きたくなるのかは重要なところだ。それにしても名蔵湾の空は今までの空とは違う。どうやればよいのか呆然としてしまう。できないということが絵に出ればまだいいのだが、ついついでっち上げているところが情けない。

気が付いたことは絵が薄めになって、めりはりがなくなっている。メリハリや濃淡で絵作りをしていたらしい。絵にするという意識はおかしなものだ。絵を描いているのだから絵にするということは当たり前だが、絵というものの意識が、学習によって出来上がっている。今までの絵画史的価値観の影響は大きい。絵を見てきてなるほどと感心した蓄積の意味。それが自分が今見ている世界のすばらしさとどう関係するのかが難しい。どうも眼前にある世界を画面に持ってくるために、この蓄積されたものが大いに邪魔になる。眼前のものが、自分の中に蓄積された絵の常識によって染まってゆく。その結果できたものは絵らしくはあるが、自分の見ている世界とは離れてゆく。見ている世界を画面に持ってくるのが絵なのかどうかはわからないが、まずは自分の絵を描くということは、そこから始めるほかないのではないか。それができないのに、誰かが作り上げた過去の絵画を、まねたところでつまらない。一つ新しいやり方を取り入れた。一呼吸する都度、お前という人間はこの絵でいいのかと問うことにした。お前がいなくなったときに、この絵が笹村出であるといえるか。こう問うことにした。

それにしても、車で10分も行けば絵を描きたくなる場所があるという状態はなんともありがたい。2時間ほど描いたら家に戻る。描きたくなればいつでも出かける。いくらでも絵が描くことができる。大した絵が描けるわけではないのだが、「この大したことのない絵」に慣れなければと思っている。人の作ったそれなりの絵を描くより、自分の眼の方がはるかに意味があるという姿勢でゆく。ただ一つ。この絵を笹村出と呼んでいいのかと問いかける。このところ雨続きである。冬の石垣は雨が多いいということらしい。雨がまた良いのだ。絵を描くには雨は悪くない。濡れることで現れる色がある。人はいよいよ来ない。車の中から描いて居るありがたさだ。こんなに恵まれて絵を描いて居ていいのだろうか。幸運すぎる。たぶん父親と母親のおかげだと思う。よく働いて、私の行く末まで心配してくれた。これで自分の絵までたどり着けないとしたら、合わせる顔がない。

 

 

 - 水彩画