養鶏場を完全に終わる。

   

養鶏業は山北で自給生活を始める中で始めた。だから30年前のことである。そして小田原に引っ越たので、養鶏場も小田原に移動した。好きなことを30年もやらしてもらえたのだから、感謝の気持ちが溢れている。小田原では土地をお借りしてやっていたのだが、先日地主さんが見えて、土地を返して欲しいという事を突然言われた。びっくりしたので少し考えさせてもらいたいという事になっていた。そして先日、農の会の機械小屋があるので、農の会に貸してもらえないかとお願いしたのだが、どうしてもダメだという事であった。個人ならいいが、NPO法人では嫌だという事であった。なんとかお借りしたいので、もう一度時間をおいて話させてもらいたいという事にした。そして改めて話し合ったが、どうしても返してもらいたいという気持ちは変わらないという事であった。そういう事であれば受け入れざる得ない。契約期間の来年の8月末なのそれまでは良いという事になった。10年間やらしてもらえれば、投下した費用は回収できる計画だったのだが、15年は養鶏が出来たわけだから、充分なことである。

返すまでにお借りした状態にするという約束をした。地主さんはそのままで構わないと言ってくれた。それでも借りた時よりはきれいにしてお返しするとお約束をした。地主さんへというより、土地に対して使わせていただき感謝を示したいと思う。世間からも養鶏場の後を片付けもしないで居なくなったと言われたくない。美しい場所にして終わりにしたいと思う。地主さんから返して欲しいと言っていただいたことは、今は幸運だったと思う。機械小屋があるので困ると思ったが、よく考えてみれば、土地をお借りして機械小屋というの状態では問題が起きた時に困る。同じ舟原に住んでいる自分がいなくなり、農の会という組織が借り手という事になると、責任問題など生じた時に厄介なことになりかねない。返して欲しいと言われたときは困ったと悩んだが、地主さんの気持ちに従うという事が一番良い選択になった。養鶏業を完全に終わるにあたり、幸運な展開と言えるだろう。

まず鶏小屋は前から欲しいと言われていた方に差し上げることにした。大きなハウスが欲しいのだが、どこかで使わなくなったものはないかという事で相談されていた。鶏小屋はまだ十分使える状態である。見て頂いたら、ちょうどよいと喜んでいただけた。持って行ってもらえることになった。使えることになれば私としては気持ちが良い。何か良い巡り合わせになっている。周囲にめぐらせた、単管パイプであるがこれは抜き去れば、鉄くずとして引き取ってもらえるから、問題がない。機械小屋などの部材はあちこちに分散させて、小さな機械小屋を作ろうと思っている。諏訪の原圃場でも、小さな小屋を作るのは構わないと地主さんが言ってくれている。屋根があれば、水を溜めることもできるし、そこに道具があれば、みんなの活動にも便利になる。部材がないかと考えていたところだから、これも丁度良い利用になりそうだ。

後の田んぼの会の機械一式は私の家のハウスなどに移動したいと思う。家の方のハウスもビニールが破れてしまい直そうと考えて、部材を用意したところだったのでこの際使いやすく直して、いろいろ置けるようにしたいと思う。今回の機械小屋の整理に伴い、住んでいる家の今後の管理についてもめどが見えてくるかもしれない。返して欲しいと言われたときにはこれは困ったと思ったが、実にありがたい申し出だったようだ。流れに逆らわないという事も大切なことのようだ。立つ鶏跡を濁さずである。生まれた藤垈村では寺院が朽ち果てている。屋根の落ちたお堂を見ながら暮らすという事はさすがにつらいことだ。日本が崩壊する過程にあるように見える。地方消滅というが、消滅ならまだましである。地方廃墟化である。軍艦島ではないが、人間の痕跡が無残に残されるという事は、自然というものに申し訳の立たないことになる。世界遺産化した山村の廃墟などあってはならないと思う。自分の後始末だけはきれいにしたいと思う。

 

 

 

 - 自然養鶏