何でも賛成せざる得ない公明党の事情

   

昭和の時代の野党というものは何でも反対するという事で政治をつまらなくした。今は全てアベを忖度する公明党が政治をつまらなくしている。何でも反対という野党はいない。むしろ野党の意見は多様である。憲法に対する姿勢があまりに違って、統一ができない。公明党はアベ政権にへばりつき、自民党案には何でも賛成である。何しろ、カジノに賛成という宗教政党があるとは思わなかった。池田大作氏が機能していないという事が確認されたと思う。後継者争いが起こっていると考えられる。池田大作氏が死んでいるという説もあるが、ほぼ死んでいると同じような状況と判断するほかにない。ただ後継者争いがなかなか複雑化していて、結論が出ないがために、池田大作氏が元気に存在しているという言ことにして置かざる得ないのだろう。と思える。創価学会内の後継者争いというものは、利権も絡むうえに、宗教的な意味での路線の違いという事もある。

創価学会内部が、何か煮え切らない状態で動きが取れないがために、公明党のアベ忖度が始まっていると考えればいいのではなかろうか。憲法改定を自分の政治目標にしてきた、安倍晋三氏は創価学会の後継者争いに手を突っ込んだ。それが、安倍氏の自民党憲法草案を無視した行動になった。本来であれば、自民党の憲法調査会で決めた自民党憲法草案がある。自民党の総裁がその草案を無視して、公明党の現行9条に3項を加えるという、訳の分からない案に乗ろうというのはさすがにおかしいだろう。そんなおかしさに対して意見を言えないのが、アベ一座自民党である。そもそも憲法に関して意見があるような人は、自民党の議員にほとんどいないと考えた方がいい。憲法など邪魔にならない様に仕舞っておけばいいぐらいの人たちが自民党代議士なのだ。憲法は政治のやり方を決めたものだから、無い方がいいというのが自民党のはずだ。あるとしても機能しない憲法が良いというのが自民党に違いない。

憲法を政治の対立軸にしているように見えるが、実はそれは建前で、憲法を変えようかえようと、変えてはならない変えてはならない。こうした両陣営のポーズの方が今のところ重要になる。憲法を変えて、自衛隊を軍隊にして、日本を軍国主義にする。こうした目標があるなら、憲法改定は重要になる。しかし、アベ一座の主張は、現状の自衛隊を追認するためには、憲法を改定する必要があるというくらいの意見なのだ。もしそれが本音だとしたら、憲法改定を政治生命とまで主張するアベ一座は何をぶち上げているのだろう。まともな政治家はどちらでも大した違いはないというように政治生命をかけるはずがないだろう。多分、憲法解釈変更がやりやすくなれば、それでいいというあたりが本音だろう。その位の曖昧な変更であれば、公明党の取り込みが出来る。ここがみそなのだろう。

公明党はもし憲法改定に進めば、分裂することになると言われていた。ガセネタだったのか、今年一月池田大作氏が2017年7月に122カ国の賛成を得て国連で採択された核兵器禁止条約の意義に触れ、唯一の戦争被爆国である日本が核依存国の先頭に立って、核兵器禁止条約への参加に向けた意思表明を行うよう呼び掛けた。まさか本人が書いたと考える人は少なかったのではないだろうか。たぶん公明党内の平和主義派閥のしゅちょうであろう。自分たちに信者の支持を得るための主張なのだろう。現在の公明党の方向に反旗を掲げる一派の記事だと思われる。池田大作氏の意見であるとされたにもかかわらず、その後、公明党からはまったく反応がない。公明党内部の平和主義グループは押しつぶされたのだろうとおもう。これにはアベ一座も絡んでいると考えるのが自然だ。内部分裂と、自民党からの汚い手が入り込んで、創価学会内部は危機的状況なのではないかと考えている。それが、最近の公明党の何でも賛成党になった理由であろう。エセ民主主義の怖さである。池田大作氏が統括できた間はまだましだったのだろう。現状では内部の戦いが激しいために、自民党から誘惑に揺れ動かざる得ないのだろう。

 

 

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