春分の日に始まり夏至まで
イネの種籾は春分の日に海の水で籾洗いをした。そして3週間川の流れの中で浸種をした。その後2週間冷蔵庫で5度で保存。そして、苗床に種まき。育苗は5週間。4,5葉期の苗を田植え。そして4週間が経過して、夏至になる。8,5葉期となっている。春分の日は昼と夜の時間が同じ日。夏至は昼の一番長い日。夏至になるとイネ作りはめどがつく。今年の稲作が定まる。作物は自然の巡りのなかにある。毎年気象は揺れ動くが、イネ作りでは天候の長期予報で、種まきの時期をずらすというようなことはしない。冷夏予測であっても、籾洗いは春分の日だ。そして、夏至の今日は人間の心もすっかり全開である。こうして、太陽暦に併せて作業を決めたのは大きな根拠がある訳ではない。しかし、こう決めておけば忘れないという事だ。このほか大豆の種まきは七夕の7月7日と覚えている。麦の種まきは11月11日としている。そう覚えておけば、作業や心の準備ができるからだ。
私は太陽に併せて農作業を組み立てる。太陽の影響の大きさは空想ではなく、現実のことだからだ。霞を食べるわけではなく、実際のお米を少しでも多く収穫したいので、太陽に併せて農作業は考える。日照不足は作物には極端な影響になる。以前麦畑に農作業小屋の形の影に生育の悪い場所が出来た経験がある。当たり前すぎるが、日照の少ない場所では作物は生育が悪い。イネ作りでは日照の影響はは冬の作物ほどではないが、収量には10%程度の違いが確実に起こる。日照の悪い田んぼでは、肥料を増やす。堆肥を多く入れる。3度代かきをする。草を徹底して取る。コロガシを多く入れる。冬場の緑肥は特に生育が悪いから、外から堆肥を持ち込まざる得ない場合も出てくる。しかし、春分の日から夏至に至るまでは日陰の田んぼであっても、かなりの日差しを貰えることになる。日陰の藤垈で生まれ、陽射しのありがたさは人一倍感じている。
これは石垣気象台の写真。太陽が真上に来るので日陰が真下にだけしかできない。
石垣島で驚くのは絵を描いていて日影がないという事だ。朝夕は遮光になり日影が生まれる。それが日中には日陰が一切ないという風景になる。見慣れた風景は日陰がある風景なのだ。夏至の南中時刻であっても日陰が出来るのが、関東当たりの景色である。いつの間にか風景というものの動きを見るときに、ものそのものよりも、印影というもので見ているという事に気づく。陰影がなければものを把握することができない人間になっている。今の所朝夕しか絵が描けない状態である。イネ作りも日陰のない強い陽射し、長い日照時間。ずいぶん違うものになることだろう。石垣島は北回帰線から1度弱しか北に離れていないので、夏至の日の太陽南中高度は89度。南中時の日影はほぼ真下になる。これは昼間の風景をずいぶん違うものにしている。農業にも影響があることだろう。
農業に影響があるのは当然としても、人間にも影響しているのではないだろうか。陰影がない世界で物をとらえるとしたら、一面的になるのではないか。物の量とか、動きというものの把握が陰の存在によるとすれば、人間のなかにある直接は見えないところにこそ、その人間を形作るものがあるのだろう。その人が隠している闇の部分にこそ、その人の本質のようなものを形作る何ものかがある。たぶんあるのだろう。琉球文化は絵画表現というものが乏しい。織物と音楽があれほど高度な文化に成熟しているにもかかわらず、絵画的な表現はさみしいものがある。この原因は影のないという事で、視覚的な表現が発達しなかったのではないか。表層的な見方かもしれないが、自分が絵を描いてゆく上で、留意しておくべき点と考えている。