認知症、運転免許証の返納
75歳以上で免許書の更新を210万5477人が受検し、そのうち5万7099人が認知症再検査と判定された。結果、診断後、免許の取り消しや停止の行政処分を受けた人は1892人となった。75歳以上の人の3%の人が認知症の可能性があるという人数なのだろう。先日事故を起こした90歳の人はこの検査を通過していた。これは自分では大丈夫だと考えているが、怪しいという人の数である。私ももちろん他人事ではない。深刻に今から75歳での免許書の返納を考えざるえない。3%という少数派はどんな場合でも必ず存在するであろう数である。私は思い込みの強い部類の人間の自覚がある。自分だけは大丈夫だと思いがちだろう。認知症テストの限界を感じる。認知症予防協会というところの認知症テストというものがある。やってみた。今のところ100点だった。こんなことで自慢と取られたら困るが。いつかまたやってみて比較しようと考えてのことだ。80点以上取れば、一応大丈夫とある。この程度のテストで判断ができる物とは到底思えない。自動車の運転の安全性と、認知症というのはそんなに単純なものなのだろうか。
車の運転に関する認知症の、客観的判断が難しい訳だ。認知症なのだから、自己判断が出来ないのは当然の事だ。それが我ながら怖い。自分は大丈夫だと思い込むのが認知症の証拠だ。警察の試験は75歳になれば受けるとしても、70歳の時に受けないでもいいものだろうか。さすがに、病院に行って私は認知症でなないでしょうかというもの、病院嫌いとしては抵抗がある。自分に固執してしまう。冷静な判断力が無くなる。視野が狭くなる。耳が遠くなる。老人特有の危険が潜んでいるような気がする。重大事故を起こした90の老女が赤信号というのは分かっていたが、人がいないので大丈夫だから進んだと答えている。最近免許書の更新をしていて、認知症テストには合格している。この人は明らか運転は無理であるが、認知症テストには合格する。自分の判断に飲み込まれているだけで、判断が出来ていない訳ではない。人がいないと判断はできたのだ。しかし、赤信号なのに行って良いと考えてしまったのは何かが抜け落ちたという事だと思う。私もこういうことがありそうで不安なのだ。
私は車の中で絵を描く。車が運転できなくなった時には描くものを変えなければならないのだろうか。70歳で石垣に引っ越したとして、免許の更新は1回なのか、2回になるのか。不安になる。石垣の家は歩いて暮らせる場所にしたので、日常生活は何とかなるとは思うが、車アトリエで絵が描きに行けないという事態は相当に苦しいことになる。石垣に行く甲斐がない。石垣は道が狭い。細い路地を抜けてゆく一方通行が多いい。旅行者のレンタカー事故は問題になっている。朝等点滅信号になる場所が沢山ある。初めてだとあの信号には戸惑う。その年まで生きているのかどうかも分からないし、その時に考えるしかないのだろうとは思うが。80歳でいつもの絵を描くところまで行けるとすれば、これは有難いことだ。もう石垣に車アトリエを運ぶ方法を問い合わせてある。引っ越しの時に、同時に運べばいくらか安いという事だ。車の中に壊れやすい陶器などを積んで、運ぼうと考えている。あと10数年石垣で田んぼの絵を描けることにならないと困る。
鉄道の踏切の前に来ると、一旦停止して出発する合図がないので止まったままでいたという事が、2度ほど経験がある。今のところ、用心のし過ぎの方に間違っている。これがいつ変わるのかという不安がある。いつか今暮らしている舟原から越さなければならないと考え始めたのは、車の運転である。自分だけは大丈夫などとは思えない。自分が事故で死ぬのはし構わないが、ひと様が私の運転で事故を起こすような事態はあってはならない。そう思うと舟原での暮らしも車あってのことだと気づく。そこで、歩いて暮らせるところに越そうと考えた。最初は小田原の中心部も考えた。しかし、いろいろ考えている内に、車がつかえなくなれば、田んぼも畑もできない。思い切って一番絵を描きたい場所に越した方が良いと思うようになった。絵を描ける時間は残り10年か。もう少しあるか。それは分からないが、絵を描くことをやり尽くしたいと思っている。となると、やはり、家で描くことも考えないとならないのか。