舟原溜池が満水になった
これが溜池の3段目の排水口である。舟原溜池はついに満水になった。予定の平均水深では60㎝である。深いところでは80センチくらいあるかもしれない。このあたりの石垣の草は刈らないとならない。水のない内に刈れば良かったのだが。後回しにしている内に、水を入れてしまった。
5月2日の雨で、入水量も相当に増えている。入水量が増えれば、漏れ出る水より水量が増えて満水になるようだ。予想では漏れがだんだん減少してゆく。この後少しの入水量でも満水まで溜まっているようになるのではなかろうか。田んぼの経験ではそうだ。洩れているあたりにごみが寄ってゆくのは、溜池も田んぼも同じだ。ダンボでもどこで洩れているのかを探すのは、案外に難しい。
ガマが伸びてきている。どこかでガマの整理をしなければならない。ヒメガマという事のようだ。葉が15ミリ程度の細いものは、コガマかヒメガマのようだ。カヤックを持っている人がいるというから、それを浮かべてみたいと思う。ボートを浮かべて草を刈る。まあ、舟遊びのようなものだが。舟原で舟遊びは悪くない。掘って置けば、水面全てがガマでおおわれてしまうだろう。ガマの生えるところを限定させたい。
カルガモが毎日来ている。ここらあたりで雛を育ててくれるといいのだが。4羽来る日もある。今日は一羽なので、もしかしたらどこかで孵化を始めたかもしれない。草刈りの時には気づかなかったが。そばの茂みにいるのかもしれない。
満水になった舟原溜池。右側から水が入り、正面の堤の中央に排水口がある。回りの草刈りをして、実に清々した。カキツバタを植えようと思い苗を取り寄せたが、どうも枯れてしまった。
中央の通路は幅1,5mほどある。満水になったても安定している。中央に土手を作り池を2分する考えは、良い計画だった。上の池は常に安定して水がある。水深40センチくらい。上の池に何とかカキツバタを植えたいのだが。
南側の石垣である。石垣がすべて見えるように直した。左にある大きな檜が石垣を破壊している。小田原には石垣積みの技術がある。江戸城の石を運び出していたという事に関係しているかもしれない。また久野には竈石を切り出していた場所がある。私の下の養鶏場は石小屋という場所で、そばに採石場がある。川の石にも亀石とか、名前が付けられている。久野にはどうも医師になじんだ暮らしがあったような気がする。こうした石垣もたぶん江戸時代のもので、明治の初年に積みなおされたものではないかと思われる。
石垣の下に管理道を整備している。一番奥のあたりはもう少し土を入れないと、水が石垣側に漏れてしまう。石垣際まで水が来ると水漏れをしてしまう。
ミズキが今満開である。今度ここにある20種ほどある樹木に、樹名板を付けたいと思っている。1、ミズキ、2、ウツギ、3、柿、4、檜、5、ホウノキ、6、お茶、7、エゴノキ、8、ヒサカキ、9、ヤマモミジ、10、山藤、11、けやき、12、ヤマニッケイ、13、スダジイ、14、シラカシ、私は樹種に詳しい訳ではない。今思い出すままに書いたものだ。まだあるに違いない。