パチンコ賭博大国日本

   

久野の住宅地にあるパチンコ屋の駐車場は朝からいっぱいである。何故、パチンコ屋を町から排除できないのだろうか。ギャンブル場が至る所にある国など、世界中で日本だけだ。恥ずかしいことだという自覚が日本社会にないことに驚きだし、がっかりする。アベ総理大臣の責任と合わせて、日本の恥だと感じている。せめて、パチンコ屋設置基準を決めて、一定の地域以外には開設出来ないようにすべきだ。時に、お金をかける行為の違法性を、厳密に取り締まらなければならない。これを読んで腹をたてる人も居るにちがいない。パチンコ位何が悪いのだと思うだろう。賭博は社会の裏側にある方がいい。その辺の倫理だ。こうしたことが野放しにされている政治を恥だと思うのだ。加えてアベ氏はカジノ法案を進めて、カジノで一儲けしようという腹積もりである。経済だけが価値基準だという姿は、国家がすでにギャンブル依存症的傾向なのだろう。負け始めると、次の勝負で勝つから大丈夫だという、理由のない賭けに出てしまう。ニホン家は450万円の年収で920万円近く使ってしまう状態という話。但し、貸し付けも金融資産も結構あるので、即危うい訳ではないとのこと。

叔父にあたる人がパチンコ依存で親戚中がかなり苦労した。サラ金が簡単にお金を貸してしまうのだ。そして、何度も行き詰まった。ギャンブル以外のことでは悪い人ではない。普通に暮らしていた。最後には子供の仕事までかかわってしまった。それでもやめられなかった。そんなことがあったので、ギャンブル依存症には人一倍気になるところだ。ギャンブルをしても、依存症にはならない人も居る。私はギャンブルをすれば、必ず依存症になる人間である。今までもゲーム依存症にはなった。将棋である。将棋の場合はそれほど悪いことではないように言われているから、子供の頃からついついはまった。小学校の担任の江藤先生ともやったことがある。いまや伝統文化と言われていて文部省も評価している。そんなはずはないと思う。将棋をやらないでいられなかった。お金をかけるというようなことはしなかったが、完全にのめり込んだ。もう一つは、ピンボールゲームだ。フランスにいたころに、これにもはまった。やらないと落ち着かなくなった。まったく時間つぶしでぞっとしてしまう。止めた方が良いことは分かっていたが、将棋も、ピンボールもやめられなかった。

そういう性格だから、ギャンブルに関しては決して始めないと決めてきた。ほどほどに自己制御が出来ない人間という自覚。これははまっているほどではないが。タブレットで囲碁や将棋ゲームは時々やっている。しかし、依存にはならない。相手が人でないから、それほど勝負への執着心がわかないのかもしれないが、たぶん歳をとると依存症にはなりにくくなるのだろう。熱中していたころは、すべてのものが将棋盤に見えたものだ。街のパチンコ屋の姿が日本人社会の空気を反映している。パチンコ屋位何が悪いのかという人が多いいと思う。確かにそれほど悪いことではない。しかし、これが違法賭博であるという事には間違いがない。一日で何十万損してしてしまう人がいるという。違法賭博が街の至る所に存在して、朝から人が溢れんばかりに並んでいる社会。これは冷静な目で見れば異様なものだ。それほどのことには感じないようになっているところが日本社会の問題点である。

政府が公営賭博や宝くじに熱心という事が社会の空気に反映しているのだろう。財政破綻を賭博で切り抜けているというのでは、市町村が公営ギャンブル依存症だ。日本の行政がすでにギャンブル依存症という事だ。ギャンブルを禁止しろというのではない。公営賭博は止めること。やれる場所を限定すべき、この2つだけでいい。それほど難しいことではない。一定の地域のみ許可されるものにしてすればいいだけのことだ。一定の要件の備わった健全な組織に運営を許可する。風俗営業が住宅地、文教地区で出来ないのに、なぜ公営賭博の地域指定がされていないのだろう。風俗営業をやる市町村はないが、なぜ公営賭博があるのだろう。小田原でも加藤市長は昔は競輪場を止めると言っていた。何故か、市長になったら何年たっても、止める気配がない。

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