2018年の書初め

   

今年の書初めである。

今年は暮れから正月の間も絵を描いていた。描きたくなったので描いていた。描きたくなることは、あまりないのだが、水彩人北陸展があるので気持ちが盛り上がったのかもしれない。やはり私にとって金沢は特別なところだ。絵を描きたくなるなら、北陸展も悪くない。仲間が石川県にいる。少しつながりが復活したのが何よりである。何かと懐かしいことだ。今度は雪の季節だからなおさら楽しみである。絵を描いている勢いもあり、2点書初めもした。毎年何か書くことにはしている。ただ墨を擦ったり、布やら、紙やら、毛氈をだしたり、用意するのがなかなか大変である。特に猫が来ないようにしながらというところが大変である。今年の書初めは、結城紬の白地の布を柿渋で染めたものに書いた。布の調子と、墨色が何とも言えず良い調子になるので、字の上手下手関係なく気持ちの良いものになる。書を書くことには、練習もしない。下書もしない。そんなことをするとうまい字を書かねばという気持ちになってしまい、楽な字にならないから嫌なのだ。

「春夏秋冬」と書いたのは、農業にするものとして巡り巡る季節への思いが強いからだ。当たり前のことだから書いた。言葉を選ぶ方が時間がかかる。教訓めいたことが書いてある書は特に嫌いだ。良さげに見えるから嫌だ。至西三里箱根宿というようなものが好きだ。もう一つ考えて書いたのが、「日月星光」ニチゲツセイ、ひつきぼし、そのまま世界というか宇宙を表していると言ってもよいのかもしれない。だから光を付けて宇宙にある光のことを書いた。中国では日月星辰にちげつせいしんという事になるらしい。今度はこっちを描いてみよう。しかし、本当のところは日本語訳の日星月となると鶯のことらしい。大雄山の参道に石の道標があり、気になっていたのだ。その道標は日月星の下は地面に埋もれてしまっているので、何が書いてあるのかはわからない。そこで今回は光を付けた。一六年前に書いた時は愛卵土と付けた。養鶏場の名前である。やはり辰が埋もれているのだろうか。

「日月星光」鶯が通り過ぎる影 あるいは宇宙の光り

こちらは書いてから洗ってみたのだ。だいぶ薄れた。薄れた感じの方が良いかと思えたのだ。これがさらに時間の経過で、布色が濃くなる。しばらく置いても濃くならないなら、もう一度柿渋で染めるつもりだ。そしてもう一度洗ってみたい。消えかかるようなものになればと思っている。字が良く見えないくらいになれば一番良いと思っている。だから、サインまで入れてあるのに、途中というのがずるい感じ。備前の茶碗が使っていて良い色になるというところを、池に付けて置いて時間短縮するという姑息に似ている。もちろん時間に勝るものはない。「南海雲北山雨」と昨年は書いた。用のないもの意味のない感じが良い。お寺の玄関に天気予報を掲げたという名残を少し変えたもの。

書というものに専門家がいるというのが不思議だ。書道家というのではなく代書屋さんである。書はその人であることが大切である。その人の何かを感じたいから所を見るのだ。描かれた字の上手い下手など大した問題ではない。世界に書というものを認めさせた井上有一氏は小学校の校長先生まで勤められた方だ。最近テレビで見る書家と自称されている人は、まさに代書屋さんだと思う。注文に応じて必要な字を書ける巧みな人という意味だ。看板屋さんでもいい。書に道まで付け加えるというのがそもそもおかしいだろう。書いた人の縁にしたいから、その人の書をたどるのである。絵画とデザインとは違うと思うところと似ている。もちろん中川一政氏の書は凄い。私にはそう見える。私には中川一政氏が人として素晴らしいと考えられるからである。人間に行きあたり、人間の絵を目指したい。

 - 水彩画