伊豆下田に変化
下田に来て絵を描いている。小田原から下田までは車で2時間半かかる。下田に来ると絵だけになれる。私には絵を描くことに集中できる素晴らしい場所だ。今日も明るい光が輝いている。冬でも畑には緑のものがある。花が植えられている。アロエが満開である。河津さくらも2分咲きになっている。ところが今回はいつも描かせてもらう、特別美しい畑がついに放棄されてしまったようだ。3か所共作物がない。確かにお年寄りが耕していた畑だったので、時間の問題かとは思っていたが。このタイミングで相次いで止められたというのことのようで、印象的だった。そういう時代の変わり目に入っている。下田という場所から私の絵に対する、指示があったと受け止めることにした。美しい畑をやりたいというような一人が畑を止めるということは、一人では終わらないことだろう。日本の農地はコンクリート区画農地だけ残るのだろうか。小さい自給の農地ほど美しいのに残念なことだ。これは日本人が変わってゆくということの兆し。新しい日本人は棚田を見て、絶景と叫ぶことだろう。美しい場所が美しくあることを支えていることへの喜びには、まだ気づいていない。暮らしは経済合理性で片づけていいことではない。
下田は別荘地として人が増えた時代があった。移住者たちが住み着いた時代があった。土地が高値で売れるとその地域に変化が起こる。その時代が終わろうとしている。観光の町下田に特化されてきた。下田の町はそれなりににぎわいに満ちていた。観光シーズンとしては人の一番少ない、12月の中旬でも結構観光客は歩いている。海外からの観光客も目立つ。となるとますます観光地的になる。旅の恥はかき捨て、の裏側にある、どうせ一度きりの観光客だとい対応。世知辛いお店が多くなった感触がまたあった。年に4,5回も来る私のようなものが、また入りたくくなるようなお店が増えてほしい。今回伊豆には看板条例が出来て、派手な広告看板が縮小、整理されるというので期待してきた。確かにド派手な看板が減っている。無くなったわけではない。それでも少し落ち着いた感じがした。よくなったことだ。これからの時代の観光は看板を見て動くよりカーナビやグーグルナビの時代だろう。良い情報ならば忽ち広る。
今回現場で描くということは上手くゆきそうもないので、ホテルの中に絵を並べて描いた。そんなつもりでもなかったのだが、いつも車にはたくさんの描きかけの絵を持ってきている。出かけて描くといっても、その場を見て描くというだけでもない。下田を歩き回り、ホテルで下田を描くということもある。それなら家でもよさそうなものだが、下田では少し違う気分になる。この気分が案外大切だと思っている。下田の絵を描いてみたり、石垣の絵を描いたり、小田原の絵を描いたりする。家で描くときはいつもそうなのだが、その時描けそうな気になった絵を描いてみる。だから下田の絵の先が石垣になったり、小田原に石垣が入ってきたりもする。それで絵になるということもないのだが、ともかくやれることは何でもやってみる。出来上がる絵よりも、描くということをあらゆる方法で出し尽くしてみたい。
以前私の絵を見てこれでは何の花だかわからないといった人がいた。多分それが普通の見方なのだろう。ボタニカルアートではないのでたいていの役には立たない。ボタニカルアートのイラストは、昔はよく描いた。蘭友会に入っていたから蘭を写真以上にリアルに描いた。絵とは思わなかったが、蘭友という機関誌に掲載してもらった。下田と分らないとダメな人には、絵ハガキ写真の方でいいのだろう。もしかしたら風景かもしれないぐらいの絵がちょうどよい。下田の先が石垣では、おかしな絵だ。最近小学校の同級生にもらってもらう絵を描いている。50人いたから、50枚描いている。先日の同窓会で笹村の絵がほしいといってくれたのだ。喜んで差し上げたいが、来年の同窓会まで待ってくれと話した。考えても見てほしい。昔の友達のために絵を描くという仕事はなかなかいい。すごく自由にでたらめに描いている。どんな絵でもきっと、あいつの絵だということで喜んでもらえると思うのだ。ササムラだなといえるような絵にしなければ。