石垣の11月
宮良川、川岸に水位の高かった跡が見えるが、3日前には溢れんばかりに水が来ていた。いつも描く木が水の中から出ていた。開南という集落の少し下の場所でいつも描いている。この傍の十字路にある、めったいにやっていないパイナップル売店のジュースはジョウトウサ。
石垣島の11月は30度になる日もある。おとといは29度だった。最低気温が20度以下に下がることはまずない。暖かいを通り越してかなり暑い。今回も汗を描きながら絵を描くような暑さだった。田んぼは稲が実っているところもある。最近刈り取った後も見えた。2期作の後半の稲ということなのだろう。後作のほうが実りが足りないということかもしれないが、少しさびしい実りの感じだった。大雨があったのか、川が越水しそうに水位を上げていた。白保の美しい海も茶色く濁っていた。雨が強く降ると土で濁る。この濁流ではサンゴは死に絶えてしまうのではないだろうか。内陸部の工事の増加や耕作地の状態が良くないと思う。石垣牛が好調で飼育頭数が増えているらしい。年間出荷頭数1000頭が目標。1000頭の牛は人口2万人の排泄物と同じ量。この影響も少なからずあると思う。暮らしと環境保全はそう反するところがある。石垣の人の暮らしが良くなるのであれば、やむ得ないところと思うが。それでも工事のやり方の配慮は必要であろう。むき出しの土壌を減らし、排水の沈殿池の設置などの努力は必要だ。宮良川の上流のダムは満水状態だった。
於茂登岳の状態は特に問題はなかった。ダムは満水だが濁りはない。中流域の工事の状態が良くないという事に尽きる。大規模な農地整備が続いている。木を伐り、土地を平らにして、農道を作る。道路も冠水している場所があちこちにあった。ここから濁り水が川に流入している。宮良川はいつもは小川のような川だ。それが10メートル幅の濁流になっていた。いつも泳いでいるかカモも今回はいなかった。豪雨があったとしか思えないが、特にそのようなことは新聞にはなかった。雨が多くなければ水不足になる。それも困る。島の気候は当然厳しいものということになる。晴れていると思っても突然スコールのような雨にも降られた。しばらく待っていれば止んでくれる。気象の変化が大きい。島だけ雲に覆われているという事が良くある。山が高いから、風を遮り雲が湧くという事があるのだろう。だから雨が多く豊かな島になったと言える。豊かさが気候の厳しさを伴う。
豊かな島を求めて、渡ってきた日本人の祖先。様々な人を受け入れ続けてきて生まれた石垣島の水土。この絶え間ない人間の流れが沖縄の壁のない文化を作り上げた。三線で言えば八重山民謡の魅力にひかれて、沖縄にやってくる人が沢山いる。今では唄者の半分以上の者が、県外からのものではないだろうか。海外から来て学ぶ人いる。多様な人種の人が沖縄で唄を学んでいる。イギリスからやってきて、沖縄古謡をまなび、沖縄芸術大学で教えておられる人がいる。テレビでその方の唄が流れたが、なかなか良いものであった。実に風雅な歌であった。よくもこの沖縄的なものを身に着けたものである。その方が、これほどすべてを受け入れてくれ、学ぶことができたことへの、深い感謝を語られていた。この沖縄の壁のない文化こそ、閉じた世界の日本本土にはないものだ。沖縄が東アジアの交流拠点になりうる一番の要素の様な気がする。
最近、居酒屋難民という言葉が石垣にはある。食べ物屋の前に行列ができている。その姿が難民ということになる。お昼ご飯をどこかで食べようとしても、どこも一杯だった。そこで何時も行く絶対に空いているだろう店に行った。ところがそこがお休み。石垣らしく不定休なのだ。私には嬉しい行列でもある。アートホテルの夜の民謡コンサートの時あさどやゆんたが竹富島の唄だという話を歌い手の方がされた。硬いぎこちない聞き手を、忽ちに石垣の空気に巻き込んでゆく唄者の力量。飲んでもいないのにみんなが30分後にはカチャーシーを踊るのだ。日本中でこんな場所は他にはない。竹富島に行く人と呼びかけた。100名ぐらいの人のうち、80名が竹富に行くと手を挙げた。竹富には古い八重山の集落が残っている。意図して残されたものではない。明治村や、古民家園とは違う。そこに普通に暮らしている人がいる重み。それが、かけがえのない魅力なのだ。刻々失われつつある、日本。かろうじて南の八重山に日本がある。