議会制民主主義の危機

   

自民党が与党にも質問時間を与えるべきだと主張した。これは議会制民主主義の危機である。与党の質問なぞ議会ではほとんど不要だ。政府の出す議案に対して、疑問点を議論するのが民主義社会の議会だ。与党の出した議案を、賛美するのでは体制翼賛の明治憲法下の議会だ。ついにここまで自民党が堕落してきたのだ。発端は森加計問題を聞かれたくない気分がある。私だっていまさらそんなことはどうでもいい。あれは総理大臣を忖度した官僚によって起きた事件だと。結論が出ている。証拠は出てこないし。国民自体が忖度社会に生きているのだから、いつまで繰り返したところでどうにもならない。要するに、健全な民主主義の為には政権与党は時に交代する必要があるのだ。安倍さんに媚びていた官僚が、政権が変わった時に冷や飯を食うかもしれないという交代制が必要なのだ。今のように永遠に安倍時代が続くようでは、ますます忖度をするのは官僚の当たり前だ。自民党の若手議員が国会テレビに映って仕事をしているところを見せたいというようなくだらなさが、今の議員のレベルだ。その前にホームページで議論を公開しろ。河野太郎氏はやっている。

民主主義をダメにするのは、国民である。言葉は適切ではないのだが、ポピュリズムという奴だ。アメリカも、ヨーロッパも、自分さえ良ければという目先の利害に動いている。せいぜい2,3年先までしか見無くなっている。長い目で見れば、という余裕を失っている。長い目で見れば日中友好関係こそ、日本の平和につながる。ところが、中国の経済成長に焦る日本はそれどころではなくなっている。競争に負けてはいけない。1番でなければだめだ。どれだけ焦っても負けるとなると、今度は相手が卑怯な手を使っているに違いないと触れ回る。まともな競争なら勝てるはずだ。こういう話になる。この蒙昧さが中国から後れを取り始めた原因である。では卑怯な自国主義者トランプとは何故協力をするのか。何故、アメリカは安全なのか。すべて2,3年先までの話だ。これを10年先のことで考えてみれば、様相が変わる。アベ政権もかわる。トランプも変わる。政権が変わっても憲法は動かない。

議会で議論が行われるというのが大前提である。ところが昨日一昨日の国会での質問も、答弁も議論になっていない。議論の呼びかけにもなっていない。すでに国会は顔見世の場になっているだけで、実質的な議論など不要と考えているのだろう。丁寧な説明が安倍氏によると行われたのだそうだ。閉会中審査にまで出て、丁寧に答えたという認識だそうだ。問題は何故それにもかかわらず、実態が分からないかである。やり取りの証拠となる書類をすでに財務省が破棄してしまったからだ。とんでもない話なのだが、それが法律にのっとった処理という事である。それなら法律がおかしかったのだ。さっさと変えると言えばいいのだ。だから、財務省のコンピュータを解剖して調べたら本当のところが出てくる。出てきて困ることがないならやるべきだろう。ところが、やらないそうだ。こういうところが丁寧な説明との開きだ。安倍氏が答える丁寧な説明はどこまでも建前論である。加計氏が獣医学部をやるという事を知らなかったと説明した。まさかそんなはずがない。もしそんなことであれば、政治家と大学経営者との学生の頃からの刎頚之友とは言えないだろう。丁寧な説明とは違う特殊な関係というしかない。

しかし、そう言いう事もどうでもいい。肝心の9条を議論してもらいたい。何故、憲法に明記しなければならないのかである。総理大臣だからそのことには触れないそうだが。そんな場合ではない。日本の未来に最も重要な案件である。正直にすべてを語り合うべきだ。このままでは何の本質議論がないまま、国民投票に至る。北朝鮮が怖いから、9条に自衛隊を明記するべきだ。などというバカな展開になりかねない。安倍氏によると、総理大臣が自衛隊に命をかけて戦え。と命ずるにあたって、その存在が憲法に明記されていない不安定状態であってはまずい。と国会答弁した。そもそも自衛隊に命をかけて戦えなど命ずる必要はない。防衛のための戦いであれば、全国民の命がかかるのだ。自衛隊が先頭に立って防衛するのであろう。自衛隊だけでなく、命の危険は等しく国民の上にある時自衛隊に出動命令を下すのであろう。他国の攻撃を抑止することが自衛隊の目的である。アベ氏の本音は海外派兵を想定しているのだ。

 

 - Peace Cafe