豊田議員を育む土壌

   

豊田元議員は傷害の疑いで書類送検された。豊田議員の経歴を見るといわゆるエリートである。東大法学部卒業、ハーバード留学、厚生省官僚、自民党衆議院議員。まさに生え抜きの女性大活躍を絵に描いた人のようだ。ところがその実態はあの狂気の暴言と、暴力行為。なぜあのような怪物女性に育ったのかである。そこにあるのは超エリートを取り巻く、裸の女王を取り巻く馬鹿げた政治の世界が想像できる。豊田議員は秘書から暴力行為で告訴されているという状況にもかかわらず、衆議院選挙に立候補した。犯罪意識はないし、目が覚めない訳だ。さすがに落選した。立候補したこと自体が私には政治を私物化しているとしか思えなかった。テレビでは立候補したことを評価する評論家もいた。テレビは面白ければ何でも有りな訳だ。堂々と評価を仰ぐ姿勢が良いというのだが、堂々の意味が違う。政界ではこのくらい凶暴な暴君は珍しくないのだろうか。男ならよく居るといった人がいた。

議員は一目置かれる。立場的に権力者になるからだ。よほど、自己制御ができる人でなければ、怪物になる。世間はどうせ議員は、世間の人間とは違う怪物なのだからと、当たらず触らず、敬して遠ざけておく。権力があるから恨まれたら怖いというのがある。同時にうまく利用してやろうという魂胆もある。何かとお願いごとには議員の力を利用する。議員の一言で動くことが多いいからだ。森友事件ではごみの片付けには6億円値引きしすぎだと会計検査院では見ているらしい。総理大臣のお友達らしいと、何やら怖そうな、日本会議の一員である。総理大臣の奥さんが名誉校長である。官僚としては、角を立てて損なくじを引くのが怖い。ここでいい顔させておけば、悪いはずがなかろう。こう考えるのが官僚一般の姿と思った方が良い。加計さんのように総理大臣とゴルフをするだけで、悪くない汁が吸えるのかもしれない。その様なゆがんだ世間になってきているのか。世間とは昔からそういうものなのか。

豊田議員を忘れないで置かなければならない。どれほど素晴らしい経歴の持ち主であっても、どれほど表面では冷静で知的な議論を展開する人であっても、いつ人間は豊田化するかもしれない。置かれた立場によって変わる危うさが人間にはある。議員を奉り、忖度し、虎の威を借り、利用しようとする人ばかりであれば、どのような人間であっても豊田化する可能性があるのだ。豊田議員には自分の豊田化であるから、今でも自覚症状がないのだ。だから平気で又選挙に出馬できるような、鉄面皮行動になる。権力者の豊田化は日本らしいソフト独裁の本質を表している。表面ソフトの仮面こそ、アベ政治である。安倍氏のやっていることの実際は、石原氏以上の明治憲法信奉者である。仮面を剥いでみれば、役を降りてみれば、豊田化しているに違いない。

権力者というものをその表層で判断してはならないという事だろう。印象で判断してはならないという事だ。安倍氏の場合、本質はトランプ化していると言える。トランプが正直者であり、アメリカ人というものはあの独善の塊を受け入れるからなのだろう。これが日本人であれば、豊田議員は許せない訳だ。だから、豊田議員も2重人格的に怪獣化した。怖いのは仮面で押し通せる役者である。選挙では豊田議員が見抜けなかったように、経歴という表層に騙されがちなものだ。安倍氏の場合、子供の頃から仮面をかぶる訓練を受けてきた人だ。日本にとって最も危険な人だ。根っからの豊田化を受け入れてきた人だ。ただ豊田氏ほど優秀ではなかったので、役に徹する方法を学んだのだろう。自分より優秀な演出家の存在を知っている。役者としてはなかなかである。なかなか馬脚を現さない。奥さんの方は馬脚を現してしまった。しかし、国民はいまだこの演技を見抜けないでいる。

 

 

 - Peace Cafe