与党優勢とはびっくりだ
前原氏が民進党の党首選挙に勝利したときに、すでに保守党時代は来ていたのだ。ほぼ自民党と自民党の時代が来ていたのだ。そのことは以前にも書いた。そして自民党の一派閥である、希望の党に民進党は編入されて、保守党時代が明確になった。というか自民党一党独裁を迎えそうだ。日本の民主主義は新しい局面を迎えた。平和憲法による日本の方角が問われることになる。小池氏は憲法九条を支持する人の排除まで宣言している。先日まで自民党にいて防衛大臣だったのだから、当然と言えば当然である。安倍総裁が叫んでいたが政治のブームで良いことがなかった。というのは、小泉劇場で登場した安倍晋三自身のことだろう。きちっとした思想で政治の方向が問われたことなど日本政治ではないのではないだろうか。日本の政治は劇場型が当たり前で、自分の暮らしと政治を結びつけて考える人が少ないという事だろう。平和ボケで政治を、他人事のテレビバラエティーとしてしかとらえられない現象かもしれない。
いま日本の方角で問われなければならないことは、憲法九条の問題である。北朝鮮ファーストとアメリカファーストが角突き合わせて核武装競争をしている。世界は極めて危険な状況に至っている。ここで軍事力対決に進めば、戦争が勃発することになる。どうやって愚かな武力対決を回避するかは、日本の平和主義以外に道はない。ところが安倍政権も、希望の党も、この軍事力対決に割り込んで日本ファーストで行く道を選択するようだ。多くの国民も不安を煽られながら、その本質的な武力衝突の実感が持てないまま、仮想現実の中にいる状態なのではなかろうか。まるでコンピューターゲームのように、アメリカと北朝鮮のののしり合いを眺めている。本来であれば、日本政府は国際紛争を平和的手段で解決するという、憲法に基づき、動き出さなくてはならない場面である。ところが日本ファーストどころか、アベ政権はトランプファーストとでもいうべき、アメリカ追随以外何もできないでいる。しかも、沖縄諸島に自衛隊基地を配備し、緊張をわざわざ高めようとしている。これも将来の米軍供与に備えてのことだろう。
日本の平和主義勢力はこの事態に対して、どうすればいいかである。共産党や社民党が憲法九条の平和主義勢力であるのは確かだ。ところが現実の資本主義経済と遊離している点で、暮らしの地点での現実感がない。経済が暮らしの根本を支えるのは当然のことである。今の世界経済の中で、企業競争の世界を無視できないことは、ロシアや中国という旧共産圏の国を見ればわかることである。いまさら共産主義経済を日本だけが行い孤立するようなことは、余りに現実離れしている。保守二大政党時代を迎えようとする中で、日本の平和勢力は新しい国家像を提案する必要がある。平和主義を評価する国民は一定数存在するが、共産主義を将来の理想主義として掲げるとしても、現実のグローバル企業時代の中で、どのような形を持てるのか。少なくとも平和主義を望む人たちに理解できるものを示す義務がある。軍事力に依存しない国の運営をどのように行うのか示す義務がある。
いつの日か、日本に北朝鮮の核ミサイルが炸裂するかもしれない。それを防ぐ手立ては軍事的にはない状況だ。日本のすべての平和主義をめざす人間は反省をしなければならない。方角を示せないまま、平和主義を評価しながらもそれが空想の理想主義としてしか示すことが出来なかったのだ。その為に日本は保守政党時代になる。平和主義を正しいとする者はここで対案を示せないようであれば、保守党時代に平和勢力は埋没することになる。そして世界の唯一の希望である日本の平和主義は消え去ることになる。戦争が何故よくないことなのかである。戦争によって何も解決ができないからだ。暴力によってもたらされるものは大きな傷だけだ。北朝鮮の核武装を止めるためにはどうやって、核保有国の核を削減して行けるかである。日本がその為に努力を蟷螂に見えるかもしれないが、やらない前から諦めてはならない。何も努力をしたことすらない日本政府は、そして2つの保守政党は平和憲法を踏みにじっているのだ。