癌患者は働かなければいい発言

   

政治家は公の場で何故こんなひどい言葉を吐いてしまうのだろう。自分の見識に自信があるに違いない。たくさんの支持者がいて、評価されているから議員になっているという気持ちがある。自分の後ろに同じことを考えている人がいると思い込んでいる。昔ある市会議員と議論になった時に、私の後ろには私を支持する有権者がいると主張した。その議員は次の選挙で落選した。同じことを考えているのは自分だけかもしれないという、大多数の不安な人間とは立つ位置が対極にある。大西自民党衆議院議員は、何度も何度もひどい発言をしている。報道を黙らせるために広告収入を絶てと発言したのは、本音とは言え、公言してしまうところがすさまじい。維新党の小西議員に対して子供を産めというような発言をしたこともあった。今度は、受動喫煙防止法について三原じゅん子議員の発言中に、がん患者にひどい言葉を発した。どうもこの人は目立つ女性に対していちゃもんがつけたくなるタイプの人ようだ。女性蔑視意識がどこかに隠れている。

最近、議員の失言が問題になるが、その責任取り方がおかしい。失言を謝罪し、取り消し、役職を止めると完了だ。いったん口に出した言葉は取り消すことなど出来ない。以前フクシマの原発事故を死んだ人も居ない小さな事故だと高市早苗議員は発言した。小さな事故だという認識が自民党には今でもあるはずだ。これを失言だから取り消して終わりではよくない。原発事故がどいう規模の、どういう性質の事故であるのかを、十分に議論をしていないからこういうことになる。小さい事故だ思いたいという原発推進の与党議員の意識があるからだろう。その結果原発事故調査もあいまいなままに終わっている。原発事故は人類の文明の問題である。人類が進んできた文明が曲がり角に来たというような、大きな契機にすべき問題だという認識に立つべきではなかろうか。単に技術的なうっかり事故という種類のことにしてはならない。小さな事故だという本音を、議論に載せて欲しい。そうでないと何故いま再稼働しなければならないのかの意味が明らかにならない。

報道に対してトランプは批判している。たぶん大西議員には同じ思いがあるのだろう。失言で片づけて議論せず、終わらせてはならない。報道とは何か。社会の木鐸というような古い言葉があるが、権力に対して批判精神をもって、調査し報道してゆくのが報道の存在する意味だと思っている。原発事故を探ろうとしているNHKの態度は注目すべきだ。これを予算で圧迫すれば黙るだろうでは、良い国にはならない。自民党のなかには、報道をただ文句を言い上げ足をとるだけの存在だとしか思えない人がいるのだろう。その点を大いに話し合うべきだ。そして報道が下らない、単なるコマーシャルの器に過ぎないのであるなら、本音でそう主張したらいい。権力批判をする役割は常に新たに生まれ変わり、成長しなければならない。それが健全な民主主義社会である。報道にその役割がないなら、次の発言の場を社会は持たなくてはならない。

大西議員の暴言はついにがん患者の生活を踏みにじる発言にまでになった。しかもその意味すら当人は気づいていない。発言は取り消さないようだ。今までこの人の暴言を許してきた自民党の責任は重い。不本意にもがん患者になってしまい、それでも働いて行かなければ生活をして行けない。あらゆる職場での受動喫煙が命に係わる人に配慮することは社会として当然なことだ。今回こそ失言で終わりにさせてはならない。きちっと受動喫煙に関して議論すべきだ。喫煙に関しては少しは改善されてきたのだと思う。もう一段やってもらいたい。これはあくまで煙草を受け付けない私の意見だ。全てのことは、立場により、意見が違うのは当然のことだ。議論を尽くし、問題点を明確にして、その上で妥協を探る。日本人はこの手法を忘れてしまった。江戸時代の村の合議は、小田原評定である。久野寄り合いという言葉もあるそうだ。納得するまで徹底的に話し合いをしなければならない社会が日本にもあったのだ。

 

 

 - 暮らし